世界70億人に「ワクワク」を届ける仕掛け人に聞く! 仕事を辞めたくならない、モチベーションの保ちかた

- 福元 健之(ふくもと たけゆき)
- 株式会社モブキャスト 取締役
1979年生まれ、千葉県出身。中央大学理工学部卒。2003年4月 株式会社サイバーエージェントに新卒入社。ネット広告営業や新規事業開発、社長室などを経験。2005年7月、サイバーエージェントと共同出資で、中古アパレル専門オークションサイトを運営する株式会社クラウンジュエルを創設(2012年11月スタートトゥデイに株式売却)。2013年7月 株式会社モブキャスト代表の藪氏に誘われ、入社。執行役員ゲーム事業本部長を経て現任。 <株式会社モブキャスト> 代表取締役/藪 考樹[やぶ こうき]氏 創業/2004年3月 本社所在地/〒106-0032 東京都港区六本木6丁目8番10号 STEP六本木4F 最寄り駅/六本木 ※本文内の対象者の役職はすべて取材当初のものとなります。
視線は常に世界へ! 新たな体制でモブキャストらしさを追求していく

―モブキャストの事業内容と、福元さんのお仕事を教えてください。
“世界70億人をワクワクさせる”というビジョンのもと、スマートフォン向けゲームを制作、配信しています。『【18】キミト ツナガル パズル』(以下、『18』)や昨年配信開始した『LUMINES NEO』ほか、『モバプロ』『モバサカ』といったスポーツゲームが代表作です。
僕は現在、新規事業を担当しています。新しいゲームの制作のほか、大きな枠組みでモブキャストを成長させるべくトライを続けています。
―今までは「モブキャスト=スポーツゲーム」というイメージでしたが、『18』はそれまでと違う、新感覚のパズルゲームとしてヒットしました。
『18』はモブキャスト初のネイティブゲーム(※)で、会社として新たな開発体制、人事評価を採りいれたなかで制作されました。新しい開発体制については詳しくは弊社のHPをご覧いただければと思いますが、重要なキーワードは「グローバル」そして「ワクワク」です。
(※)PCやモバイル端末にアプリデータをダウンロードして遊ぶゲームのこと。対して、PCやモバイルのブラウザ上(インターネット上)で遊ぶゲームをブラウザゲームという。先ほど申し上げた通り、モブキャストのビジョンは“世界70億人をワクワクさせる”こと。そのため、新しい事業、ゲーム制作に取り組む際は、最初から日本だけでなく世界を見据えて取り組んでいます。
―今後に向け、求める人材像を教えてください。
基本的にはその“世界70億人をワクワクさせる”という理念に共感していただけるかどうかが一番大切です。そして「モブキャストらしさ」を持っていること。
「モブキャストらしさ」の具体的な基準は決まっていないのですが、変化に柔軟で、多様性のある会社にしたいと思っています。相応のスキルが身につき、かつモブキャストらしい人がきちんと評価される仕組みを整えています。
いろんなゲーム会社さんがありますが、きっちりと“グローバル”に向けていくという宣言しているところはそれほど多くないと思います。ご興味があれば是非、我々と一緒に挑戦していただきたいですね。
野球とゲームを愛した幼少期。「社長」に憧れ、学校では頼られる存在

―福元さんは昔からゲームがお好きだったそうですけれど、小さいころはどんな子どもだったのですか?
父親が野球好きだったので、自分も弟と一緒に物心つく前から野球ばかりやって育ちました。ですので漠然とですが、プロ野球選手に憧れていました。
でも、やっていくうちに「プロは難しいな」と感じるようになったのか、文集か何かに自分の夢として「社会人野球選手」って書いていた記憶があります(笑)。野球は好きでしたが、努力の才能があった弟と違って(※)、僕は野球から帰ってくるなりゲームやマンガに飛びついていましたね。
※福元さんの弟は、巨人、ソフトバンクで活躍した元プロ野球選手の福元淳史[ふくもと あつし]氏。ある時、テレビ番組で、ある会社の「社長」か「トップ」のような人が出てきて、その姿がとてもカッコいいなぁと思いました。番組の具体的な内容は忘れてしまいましたが、その姿が強烈に印象に残り、それから「社長」になりたい、と考えるようになりました。
―小・中・高校時代はいかがでしたか?
やっぱり野球が中心の生活でしたね。高校の時は野球部の副キャプテンを務めていました。野球部以外ですと、小学校の時は児童会の会長、中学・高校の時も生徒会に入っていました。勉強も結構できたほうだったんです。
―おお、文武両道ですね!
野球に打ち込みすぎて大学受験では浪人しちゃいましたけど(笑)でもどのクラスにも1人は「委員長向き」の人っていましたよね。僕もそのタイプだと、みんなから思われていたんだと思います。
矢面に立つか、逃げ道をつくるのか。上に立つ苦悩を知った学生時代

―中央大の理工学部に進学した理由は何でしょう?
理系を選んだのは、これからPCの時代が来るなと思ったこと、そして大好きなゲームに携われるところに行きたいと思ったからです。PCを使えるところであればゲームもできると思って(笑)。
大学に受かって入学した初日に理工学部の教授に会いに行き、ゲーム関連の授業がないか聞いたんですが。「専門学校のようなところへダブルスクールに行かないとないぞ」って言われてしまいまして……正直「マジかよ!」って思いましたねぇ。まあ今考えたら当たり前なんですけれど(笑)。
結局、そういうことで勉強にあんまり身が入らず、イベントを企画するサークル活動ばかりしていました。アルバイトも収入があればいいかな、くらい。居酒屋や工事現場、就活が始まってからは家庭教師として働いていたこともありました。
―アルバイトで得た経験で今につながっていることはありませんか?
居酒屋のホールをしていたんですが、単に漫然と「注文を取って料理を運ぶ」という作業をするんじゃなくて、少しでも笑顔をつくったり、お客さんに話しかけてもらいやすいオーラを出すようにしていました。そうすることで、お客さんがリピートしてくれるんですね。
いつも同じシフトに3人いたのですが、その中でも一番、明るく元気にやろうと心がけていました。
―学生時代「社長になる夢」についてはどう考えていたのですか?
なりたいと思っていたものの、正直どうしたらいいかわかりませんでした。ずっと生徒会長のようなチームや組織の中心になる役目をやってはきましたが、中学3年くらいの時に、そういう“ナンバー1”の立場に嫌気がさしてきたんです。
それよりも副会長、サブリーダー的な立場のほうが魅力的に思えました。『三国志』に孫権という人物がいますが、彼のような“最強のナンバー2”を目指す方向でいこうと。ナンバー1ほどわずらわしくないし、矢面に立たなくていいし、ラクだなって(笑)。
―就職活動はどんな状況でしたか?
とりあえず周囲の流れで就職活動をやった、という感覚ですね。ただ社長を目指すなら経営に携われるところがいいかなと思ってたので、コンサルとか、有名な大手企業を中心に面接を受けていました。
―社長は“ナンバー1”の立場になりますが、それまでこだわっていた“最強のナンバー2”への思いに、何か変化はあったのでしょうか?
考えが変化したきっかけはもう覚えていませんが、チームのなかで発言権を持っている状態なら、自分がナンバー1でも2でも変わらないなと気づいたんです。
ナンバー2でいたいというのは、責任逃れでしかない。社会人になったらいつかは起業したいと思っていましたし、いずれにしてもそれを目指すなら、ナンバー1でも自分ならやっていけるはずだと思いました。
直感で選んだ就職先は、誰もが反対したベンチャー企業

―新卒はサイバーエージェントに入社されていますね。
20社くらい大手企業を受けてどこも意外とアッサリ内定をもらえたのですが、何となくどれも「違うな」と感じていたんです。そこで友達が紹介してくれたのが、サイバーエージェントでした。
当時のサイバーエージェントは、上場したばかりの赤字企業。さほど強い気持ちもなく、冷やかし程度のつもりで説明会に行きました。その説明会に、社長の藤田さん(藤田 晋[ふじた すすむ]氏)が現れたんです。
その藤田さんの話に、ただただ圧倒されましたね。語っている夢のスケールの大きさもそうだし、自分とそう変わらない年齢の人がそんな夢を熱く語っているというだけで、ものすごいカルチャーショックを受けたんですよ。
面接は4~5回ありましたが、どの面接担当の方も顔がキラキラしていて、不思議なほど顔も名前もハッキリ覚えられました。それも、今まで受けた大手の面接とはまったく違っていましたね。
気づいたら内定をいただいたんですけれど……とはいえ、名だたる大手企業の内定と、かたや赤字のベンチャーと。どちらを就職先に選べばいいかは相当、悩みました。そこで片っぱしから人材会社に電話して、就職先にどちらを選ぶべきか聞いてみたんです。
で、全員が全員、大手企業のほうをすすめてきました。いわく「大手からベンチャーに転職するのは簡単だけど、ベンチャーから大手に転職はムリだから」と。へえ~、そうなんだ……って思って、サイバーエージェントを選びました(笑)。
―!? それは、どのような判断でそう決断したのでしょう?
直感ですね。みんながみんな同じ答えなのもおかしいし。大体ベンチャーだって、そこで裁量権を持ってきちんと結果を出せば、大手に就職できないなんてことはないはずでしょう。
何より、自分が「すげえっ!」って素直に思えた人たちがいる会社に行けば、きっとおもしろいはずだと思ったんです。
―実際に入社されてみていかがでしたか?
とにかく毎日が楽しかったですね。徹夜とか何度もしましたけど、それで苦しいとかも思ったことがないです。
僕が入ったグループには、今のシーエー・モバイル社長の石井さん(※)を含む2人の先輩がいました。石井さんは僕の1個上の先輩です。2人とも本当に忙しくってなかなか社内におらず、藤田さんに「福元くん、放置されてないか?」って心配されるほどでした(笑)。
(※)石井洋之[いしい ひろゆき]氏/2002年サイバーエージェントに入社、現株式会社シーエー・モバイル代表取締役社長。詳しくはコチラ。けれども2人とも断トツの売上げ成績を残していたし、ずっと「ついていきたい」って思っていました。おかげで僕も、サイバーで働いて1年経ったくらいには、営業でトップの成績をとることができました。とにかく仕事が楽しかったです。今でも、仕事が趣味のようなものですし(笑)。

―人との差をつけるために、自分なりに意識していたことはありましたか?
僕がグループのマネージャーになった時は、特に“組織力”をつけていくことを意識しました。なったばかりの当時、僕はまだたくさんのクライアントを抱え込んでいて、しかも中途と新卒の新しいメンバーも入ってきたんです。営業に教育に、もう物理的な時間が足りなくて足りなくて。
そうしているうちに、新しいグループになって初めての月の成績でビリになってしまったんです。そこで、まずは「組織」をちゃんとつくろうと思いました。
自分が、外でとにかく稼ぐけど教育はできない「お父さん」だとすると、今のグループには、中で人の面倒を見る「お母さん」役が必要だと思いました。そこで別のグループから「お母さん」役に適任だと思った社員を引き抜いてきたんです。
その「お母さん役」の彼女に僕のクライアントを半分以上渡して、僕は新人さんを連れて外回りを続けました。そうしたら、ジリジリとですが売上げも上がっていって、最終的にグループ成績1位をとることができたんです。
優秀なナンバー1がいるなら、ナンバー2も優秀な人材をあてがうこと。僕自身ラクをしたかったというのもありますが(笑)どんなに優秀な人でも、人一人では限界があるものです。
―ほかに、サイバーエージェントにいて学んだことはありますか?
「誰のほうを向いて仕事をするのか」という姿勢ですね。サイバーは代理店でしたので、自分が受注させてもらう立場として“クライアントファースト”という考え方を徹底的に叩き込まれました。これはあとで続くクラウンジュエルでの経験にも活かされました。
―モブキャストに転職されたのは、どういったいきさつからですか?
クラウンジュエルを売却した後、これからどうしようと思っていた時に、飲み仲間だった藪(モブキャスト代表取締役)に声をかけられたんです。スポーツが好きで、ゲームが好きで、マネジメント経験があって。ウチにぴったりじゃないか来てくれよ、と。
で、何度か顔を合わせているうちに自分もその気になってきまして(笑)そのまま入社したという感じです。こうしたおもしろいゲームを生み出しているクリエイターがいる会社にいれば楽しそうだ、と感じたというのも理由のひとつです。
何かあっても、さほど気にしない。福元流モチベキープの秘訣

―チーム、組織を引っ張っていくうえで、いろいろな決断を迫られることが多いと思います。福元さんが決断をする時に、その判断軸としているものは何ですか?
後悔しないほうを選ぶようにしています。 クラウンジュエルで社長としてやっていた時、社内で社員同士が対立するという大問題が起きたことがありました。自分もまだ若造だったしどう処理すべきかわからなくって、藤田さんに電話をしたんです。けどそこで「社長のお前が決ればいいだろう」と言われちゃって。……確かにそうなんですよね。任されたのなら、自分が責任もって判断しなければならない。
結局その時は多くの社員を守るために、苦渋の決断をしました。本当にキツかったですが、後悔はしていないです。任されたからこそ責任感を持ってやれましたし、藤田さんのアドバイスの通りにしてもし失敗したら、藤田さんのせいにしていたかもしれないですからね。
―今まで「辞めたい」と思ったことはありませんでしたか?
それは1回もありませんよ。仕事に対するパフォーマンスの「いい」「悪い」って、結局モチベーションの問題なんです。
モチベを一定に保っていれば、パフォーマンスの上がり下がりもない。だからモチベを一定の、ちょっと高いくらいをキープするようにしています。
―なるほど。モチベーションをキープするコツは何でしょう?
あんまり気にしないこと(笑)。結局、何か気にしていたって、寝て、次の日起きたら気になってなかったりすることって意外と多いじゃないですか。
僕は、日本人として生まれただけでもラッキーだと思うんです。貧困で苦しんでいたり、内戦が起きている国に生まれていたら、明日をも知れない人生だったかもしれませんからね。
だから、ちょっとヘコむことがあっても「明日死ぬかもって状態より全然ラクだろ」と思うくらいにしています。今の若い人たちにも、それを是非伝えておきたいですね。日本に生まれただけでも「勝ち組」なんですよ。
―仕事をするうえで、福元さんが大切にしていることはありますか?
“当たり前”のことを“当たり前”にやること。社会人になってからより感じることですが、これが意外と難しいんですよ。だからできるだけ「当たり前のレベルを高く持つ」ように意識しています。
―新しく入社した人に対して、いつもどんな言葉をかけていますか?
「一人で考えすぎないで」とはよく言っています。どんな些細なことでもいいから、必ず相談してくれと。
あと「完璧に仕上げようとするな」とも言っています。本人としては完璧にやったつもりでも、できあがりを見たら「全然違うじゃん!」っていうこともよくあって(笑)できるようになっていけば任せっきりにしますけれど、最初のうちは必ず進捗確認、中間報告をして欲しいなって思っています。
―それでは最後に、これから社会へ出る、あるいは出たばかりの若い世代にメッセージをお願いします。
このインタビュー記事を見て、僕の考えに感化される人、あるいはまったくされない人もいると思いますが、どっちでもいいって思っています。全員が全員、僕と同じでもないし、“人それぞれ”ってすごくあると思うので。
だから自分が人それぞれの“どれ”になるのかを、早めに見つけるのが大切じゃないかと思っています。
そのためにも、「自分はこうでなきゃだめだ」「みんながこう言うから、こうだ」とかは、あまり考えない方がいい。でも「自分はこうだ」というのを見定めたら、がむしゃらにやっていきましょう。迷ったら、とにかくやってみる。それが一番だと思っています。

[取材執筆・構成・インタビュー写真撮影] 真田明日美 『Career Groove』編集長兼ライター、かつ歴史好きのゲーマー。真田幸村の直系ながら徳川家大好きの藤堂高虎ファン。歴史系雑誌書籍の編集者を経て現職。ゲームは据え置き機&パッケージ派だが、「課金はゲーム会社への投資」をモットーにモバイルアプリゲームにも精を出す。リセマラは邪道。 ※面識のない方からのFacebook友人申請はお断りしております。ご了承ください。