経営を学べば、もうかる経営者になれますか?――亀川雅人教授に学ぶ“手段としての経営学”
- 亀川 雅人(かめかわ まさと)
- 立教大学大学院ビジネスデザイン研究科/経営学部経営学科 教授
1954年生まれ、東京都出身。立教大学経済学部経営学科を卒業後、同修士課程を修了。1980年~1988年 東京交通短期大学、1988年~1994年 獨協大学助教授を歴任後、1995年に立教大学経営学博士号を取得。2002年立教大学大学院ビジネスデザイン研究科を創設、委員長に就任。大学での講義のほか、ビジネスクリエーター研究学会を創設し初代会長に就任。その他、多数の学会で理事長や副会長、常任理事などを兼務。 著書に『ガバナンスと利潤の経済学』『大人の経営学―MBAの本質に迫る』『ファイナンシャル・マネジメント―企業価値評価の意味と限界』など多数。 (立教大学・大学院 最寄り駅:池袋)
目指すは“何でもできる専門家”? なじみやすい立教流ビジネススクール
―立教大学大学院ビジネスデザイン研究科(以下、RBS)の出願資格について教えてください。
現在の出願資格は2年以上の実務経験のある社会人のみとなっていますが、実は来年の2017年から、大学を卒業した人、あるいはその年度の卒業見込みの人も対象に開放されます。
学生にとっては比較的早い段階から社会人の方と交流ができる場となるでしょう。
―RBSでは、どのような方が受講されていますか?
ものすごく多様です。でも意外なことに、ファッション関係の方やお医者さん、キャビンアテンダントといった、それまで経営者や管理職というものに縁遠かった人、専門性を持った人が学びに来ることが多いですね。
―経営に関しては全くの素人という方々ですよね。いわゆる欧米のMBAというと、学生同士でガツガツと競い合わせるイメージがあります。経営に疎い方がついていけるものなのでしょうか。
「MBA」「経営学」って聞いただけで、なんだかハードルが高いように感じますよね。
でも実は大学で経営・経済学を勉強していた人でも、その大多数は「何も身についていない」って思っているんです。なぜなら、あまり問題意識を持って取り組んでいなかったから。ですから学部生でも社会人でも、ある意味みんな素人なんです。
経営学というのは実は生活に非常に密着している学問です。経営とは「ある目的を達成するために意思決定していく」ことの繰り返しなので、それは日常の過ごし方と変わりはありません。
たとえば、今日の夕食の献立を考えてみてください。和食か中華かイタリアンか……というたくさんの選択肢を、その日の気分や家族の好み、予算などの制約を含めて決めますよね。
企業の経営もそれと同じで、ひとつの目標のために資材や予算、人員などから会社の方向性を決めるわけです。
―なるほど。そう思うと非常にとっつきやすいですね。
なんとなくハードルが高く感じるのは、聞き慣れない特殊な言葉を使っているせいでしょう。
いわゆる欧米流のMBAは、自分たちを「エリート」にしていると感じています。あえて自分たちにしか通用しないような言葉を使い、一般の社員を煙に巻いて経営に参画できないような雰囲気をつくる、と。
つまり欧米流のMBAは相手を打ち負かすもので、それは彼らの戦略でもあるのです。でも、これは日本の風土に全く合わないと感じています。
相手の長所を認め、尊敬し合うことで日本企業は世界で成功してきました。労働市場が流動化している時代とはいえ、日本の良さを捨てて欧米を模倣すれば欧米の企業に勝てるか、といったら疑問ですよね。
話がそれましたが、RBSの場合、そういった欧米流のMBAのように専門知識を深掘りしていって経営のプロフェッショナルを育成するというよりも、経営に関して基礎的なことをまんべんなく学び、そこで得た知識を総合して事業の構想をデザインしていく「ビジネスクリエーター」を輩出することを目的としています。
そのため入門的な内容のカリキュラムを多く用意しており、不得意な分野にもあえて履修していただいています。苦手なことを知り、克服できる仕組みが整っているのもRBSの特徴です。
―RBSのHPや亀川先生のご著書によると、ビジネスクリエーターとは“真のゼネラリスト”だそうですが、具体的にどういうことなのか、教えていただけますか?
ゼネラリストとは、「幅広い知識や経験、スキルを持っている人」のことです。専門家という意味のスペシャリストという言葉と比べると「何でも手広くやっている人」「器用貧乏」というイメージですが、私はこのゼネラリストこそ、これからの社会に必要な存在だと思っています。
たとえば専門医を考えてみてください。目のあたりに痛みを感じた患者が眼科医を受診したとしましょう。患者の目的は目のあたりの痛みの原因と痛みを治すことです。しかし、痛みの原因は、脳神経科や耳鼻咽喉科に関連しているかもしれません。
眼科医が自らの専門領域を深く慎重に診察したとしても、その原因はわからないままです。眼科医が専門医であると同時に総合医であれば、より患者に合った質の高い治療を行うことができるわけです。
逆に言えば、医療全般を把握していないと眼科医としてのスキルを十分に発揮できないこともありうるのです。これは医者に限らず、どの職種でも言えることですよね。
まずは全体像を理解し、そのなかにおける自分の「役割」や「立ち位置」を把握してから自分の専門性を知る。その上で、その専門性を深掘りしていく。それが、より社会的価値の高い人材に成長していくことにつながるのです。
―ゼネラリストの視点が持てるスペシャリストが“真のゼネラリスト”で、つまりRBSが目指す「ビジネスクリエーター」なのですね。
そうです。“ゼネラリストのスペシャリスト”ということですね。
また、今は環境の変化が早い時代ですから、ある分野だけに特化したスペシャリストは、時代の流れで淘汰されてしまう可能性もあります。そういった意味でも、これから世の中の人たちはみんなある種のゼネラリストにならなくてはいけない。
こうしたことに個々人が気づけば、みんな自分の価値をもっと発揮できるようになるし、自身の存在意義も分かってくると思うんです。
日本式のビジネススクールをつくるため、暗中模索の日々
―亀川先生は2002年のRBS設立当初からいらっしゃいますよね。RBS設立の経緯を教えてください。
2002年はちょうど「失われた10年」と呼ばれる不況の真っただ中で、日本の経営の在り方の見直しが叫ばれた時代でした。
それまではほぼ自動的に昇進し定年まで勤める終身雇用が当たり前でしたが、企業の規模に関わらず次々と倒産し、先輩がリストラされていく現状に、みんなが不安に感じていたのです。
日本に合ったビジネススクールはどうあるべきか。……それにはずいぶん悩みました。
当時、他校にもすでにビジネススクールはありました。しかし、授業料が高く、全日制で仕事を辞めるか休職しなければ通えないような欧米的ビジネススクールでした。
欧米のビジネススクールは、非常に高い授業料ですが、MBAを取得すると転職して高い所得を得ることができます。しかし、日本の社会ではMBAが認知されていません。MBAを取得しても、将来展望が明るいわけではありません。
そこで、現在の会社で働きながら夜間と土曜日に学ぶ、社会人に優しい夜間主の大学院を目指しました。
新たに学校をつくるには文科省の設置認可が必要でした。そのころ文科省でも「夜間主」のビジネススクール型大学院の推進を始めており、欧米的ビジネススクールで教壇に立つ実務家教員の任用を考えていました。
しかし、今まで例のない新しい形態ですから、どのような実務家が教員としてふさわしいか文科省もわからない。本当に試行錯誤しながら人を選びました。
―どのような方が教員になったのでしょうか。
実務に携わり、時代に合わせた問題意識や最新情報を持っている方に教えていただきたいと思いました。
そこで任期を5年とし、夜間でも教えられる「特任教授」という制度をつくり、会計士などの専門職に就く方やコンサル企業の代表など社会で活躍されている方を選びました。
社会人が持っている問題意識は現実的な問題であり、自らの仕事のなかで解決しなければならない課題を反映しています。そういう社会の緊張感というものを学部の学生にも肌で感じてほしいと思っています。
学部学生とRBSの社会人学生との交流や特任教授の学部授業への出張講義は、相互に価値を創造するでしょう。
―亀川先生はこの大学院の教員であり、経営学部の教員でもあります。学部学生と接することで心がけていることはありますか?
社会人の学生と違って柔軟性があって何でも吸収しますよね。ただ、それが“無批判”であるのが気になる時はあります。
たとえば経済学でいうと、近代経済学とマルクス経済学はそれぞれ批判の対象となる学問なのですが、どちらも無難に答案を書けてしまったりするのです。……どちらかを受け入れがたいと感じたら、満足なものは書けないはずなのですが。
そこで「受け売り」ではなく「自分たちで考える」姿勢を持たせようという意識は持っています。他人の主張を理解するだけでなく、「こんな考え方もできる」とか「この考えには納得いかない」と思うようになれないと、自立した人間にはなれません。大学の教員が研究者でなければならないのは、こうした考え方を学生に示すためです。
頭ごなしに「こうだからこうなんだ」って言われて、それを無批判に受け入れるのは無責任ですよね。自分で考え、「本当だろうか」「これでよいのだろうか」と疑問を持つようにしなければなりません。“質問もできない状況”って一番危ないですよね。そこで思考が止まってしまうということなので。
そのためにも、僕自身がいつも疑問を持つように心がけています。
時代は就職氷河期。いい就職先が見つからずに選んだ道が……
―亀川先生のご経歴についてうかがいたいです。先生が卒業された大学も立教なんですね。
実は、小学校から立教なんですよ。立教には幼稚園がありませんが、幼稚園受験はしなかったでしょう。私の母が幼稚園を経営していたので(笑)。
だから小学校受験以外は、大学院受験まで入学試験を経験したことがありませんでした。
―そうだったのですか! もともと研究者になりたいと考えておられたのでしょうか?
実は父親も経営分析論を教える大学教授だったんです。でも具体的な進路は、実は大学卒業するギリギリまでまったく考えていませんでした。
小さいころは漫画家とか小説家とか言っていましたが、まあ食べていけないでしょう(笑)。かといって父を見ていても、一日書斎にいて研究ばかりして何が楽しいんだろうとも思っていましたね。
―何か部活やバイトなど、熱中していたことがあったのですか?
中・高校までは、サッカーにものすごく打ち込んでいました。ちょうど釜本選手(※)が活躍していた時期で、サッカーが大ブームだったんですよ。当時の仲間とは、未だにOB会で交流があります。
アルバイトは高校時代にゴルフのキャディ、あと家庭教師をしていましたね。数学とか英語を教えていたかな。
―大学で経済・経営学を学ぼうと思われたのは、やはりお父様の影響ですか?
立教高校の3年次になると進学する学部を選ぶんです。3年間の成績が良ければ、どの学部でも選ぶことができるので、何を勉強したいかというよりは、一番人気の学部はどこなのかという選び方をしていました。偏差値の高い大学や学部を選ぶという、今の受験生と同じですね。
高校の生徒が入手する情報はいい加減で、一番人気という学部や学科は、世間的評価とは乖離していたようです。それで、「この学部に進学する」と父に言うと大反対されて、結局、父の納得する経済学部経営学科に入りました。何とも、自主性のない高校生でした。
―大学院に進もうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
景気が悪くていい就職先がなかったからです。そこで父親に相談したところ、大学院の進学を勧められました。生まれて初めての受験ですよ。でも一度落ちちゃって(笑)2年目にようやく入れました。
院生との共通の会話が勉強のことしかなかったですから、そのころはすごく勉強しましたね。同級生にはやっぱり負けたくないし、バカにされたくもなかったですし。
―学生時代で今につながっていることは何ですか?
今思えば、大学受験の経験がなかったことがよかったかもしれません。
受験は偏差値でお互いをランクづけするでしょう。偏差値の高い学校ほど一生に一度しか使わないような知識を問う問題を出して、その1点でその人の人生が変わってくる。これは社会人になってからの評価とは異なりますからね。あまり好ましい仕組みではないでしょう。
受験のための知識を覚えていること=能力が高いって勘違いしている人たちも多いでしょう。偏差値の高い大学の卒業生に対して、意味のないコンプレックスを持つ人もいますね。そのような考えにならなかったのは、よかったなと思いますね。
長い教員生活で、教えることの楽しさ、難しさを実感
―大学院を修了してからは東京交通短期大学の講師となっています。
東京交通短大は、実は祖父が創立した学校なんです。短大だったので、経済学や簿記など、いくつかの科目を教えていました。
どの科目もごく基礎的な内容しか教えていませんでしたが、初めて教壇に立った時はものすごく緊張しましたね。90分の授業のために準備するだけでも大変でした。
―それから獨協大学に移られています。これはどういった理由でしょうか。
物足りなくなってしまったんです。せっかく大学院で勉強して大学教員になったんだし、もっと専門的なことを教えたくて。そう思っていた時に、学会を通じて獨協大学の先生から「うちに来ませんか」とお誘いを受けました。
東京交通短大、獨協大に通年で18年ほど勤め、立教の教員となりました。
―立教大の時も、引き抜きだったのですか?
立教の時は私の恩師のゼミの先生が声をかけてくださいました。それまで経済学専攻しかなかった大学院に、新たに経営学専攻を設置するので来ないかと。
―学校の教員として、やりがいを感じる瞬間を教えてください。
授業中は学生の顔を見ながら行うのですが、特にうまい事例を思いついてそれで説明した時に、学生に「分かった!」という顔をしてもらった時が一番やりがいを感じますね。
どうやったら分かってもらえるか、というところが一番難しい。こちらが当たり前だと思っている言葉をついつい使ってしまうから、そこはいつも気をつけています。
経営学の本質――すなわち○○をつくること
―今まで挫折した経験はありましたか? どうやって乗り越えましたか?
思い出すのは小学校の徒競走で負けた時(笑)。小学校5年生までは断トツの一番だったんですけど6年生で3位になっちゃったのがすごくショックで未だに思い出すんですよね。
勉強面での挫折は、本当にたくさんしましたよ。でもそれを克服はしていないですね。別の分野でできればいいと切り替えています。自分が得意な分野は別にあるはずだから、わざわざ弱いところで勝負しない、と。
―先生のお話を聞いて、経営学に対するハードルがだいぶ下がったように思えます。これから経営学を学びたい、あるいは経営者を目指すという方へ、アドバイスはありますか?
「経営学を学ぶ」というと、「金もうけをするために学ぶのか」とさげすむ人もいるかもしれません。少なくとも、昔の経営学者は、この問題について自問自答していました。今でも、利潤の追求を悪しき経営目標と考える人は多いでしょう。
しかし、金もうけは大事だと思ったほうがいいですね。というのも、資本主義経済では、自分の財産を守るために他人のための生産活動をしなければならないからです。他人が認めてくれなければ、自分ががんばっても意味がないんです。
無駄な資源利用を節約し、他人が評価する生産活動に邁進しなければなりません。自己満足は金もうけにならないのです。金もうけ自体が大事なのではなくて、“社会のためになる”金もうけが大事だということです。
もちろんNPO団体や学校など、営利目的以外のところも経営学の範囲となります。経営学をこれから学ぶ方は、“社会のためになる目標を設定し、これを無駄なく達成する仕組み”を考える学問が経営学だと考えてもらえばよいでしょう。
そして経営学を知っていればあたかも経営者になれる、お金持ちになれると思っている人がいたとしたら、それは大間違いです。経営学は単なる道具にすぎないからです。 たとえば統計学だって、何かを証明するために使うもの。学んだだけでは意味がないのです。
それよりも、何をやりたいか。何を目標にするのか。その選択をすることが大事です。
目標を選択するためには言葉を知り、知識を蓄え、教養を身につけないと考えつかないものです。コンピュータゲームの会社は、経営学の知識では創業できません。経営学者がおいしい寿司屋を開店することはありません。宇宙旅行の会社をつくろうという発想も浮かばないでしょう。
経営学を学ぶのは、経営の専門用語の習得です。将来にわたる人々の暮らし方や社会の在り方を考えるのは教養であり、ひらめきです。その目標の構築とその達成を効率化するためには、経営学の言葉が役立ちます。コミュニケーションを円滑にし、相互理解を促進し、企業や家庭の目的を効率的に実現するでしょう。
だから経営学を“手段”と考えたうえで、いろいろな人とコミュニケーションを取り、ネットワークをつくってほしいです。1人でできることは限られていますからね。
より大きなネットワークづくりのために、経営学を学んでほしいと思います。
[取材・執筆・構成・撮影(インタビュー写真)]真田明日美