元・落ちこぼれ学生が育んだ “キャリア教育” の芽――今の勉強、楽しいですか?
- 藤田 晃之(ふじた てるゆき)
- 筑波大学人間系(教育学域)教授
1963年生まれ、茨城県出身。1988年 筑波大学第二学群人間学類(教育学主専攻)卒。中央学院大学・筑波大学講師、デンマーク教育大学院(現:オーフス大学大学院教育学研究科)客員研究員を経て2004年4月に筑波大学准教授となる。2008年4月より文部科学省にて小中学生からのキャリア教育の施策推進とキャリア教育に関する調査・研究に携わる。2013年より現職。 主な著書・編著に『ゼロからはじめる小中一貫キャリア教育』(実業之日本社)、『キャリア教育基礎論』(実業之日本社)など。 (筑波大学 最寄り駅:つくば)
“働く・生きる” を学びながら実感する「キャリア教育」を推進
―藤田先生が筑波大で教えている「キャリア教育」とは、具体的にどういったものでしょうか?
日本では、端的に“社会的・職業的な自立を促す教育”といわれています。
「大人たちはどんな働き方をしているのか」「キャリアチェンジとはどういうものか」など、職に就く意義や、離職や失業に対する社会的なセーフティネットに関する知識に加えて、ワーク・ライフ・バランスの在り方などを、小学生から発達段階にあわせて伝えていきます。
このほか、職場体験を行ったり、社会人を招いて経験談を話してもらうなど、できるだけ社会との接点を増やし、学校の枠にとらわれないリアリティのある教育を目指しています。
―生徒の今後について学校が関わるものというと「進路指導」が思い浮かびますが、これと「キャリア教育」の違いは何でしょう?
これまでの進路指導の場合、どうしてもいい高校、いい大学に受かるにはどうすればいいかといった“差しせまった進路選択”が中心にされがちでした。企業側にしても終身雇用が前提だったこともあり、学生は自分のキャリアパスを考える必要がなかったのです。
しかしバブルが崩壊した1990年代から、企業は若者の人材育成にかけるコストを削減せざるを得なくなりました。
そのため、新卒採用の比重を下げて即戦力となる中途採用を重視する企業が増加し、それに並行して、職に就けない・就かないニート(若年無業者)やフリーターと呼ばれる若者が増えはじめたことも社会問題となりました。
こうした状況から政府全体が若者の職業的な自立について考えるようになり、これまでの進路指導よりももっと働くことについて意識させる教育を導入しよう、と動き出したのです。
そこで進路指導に代わるものとして、欧米中心に普及していた「キャリア教育」が注目され、それを日本の教育に合う形に変更を加えたうえで推進されているのが現在の姿です。
―今は日本全体で、どの程度「キャリア教育」が導入されているのでしょう?
都心や地方、自治体の教育委員会によって内容、濃淡にバラつきはありますが、たとえばプログラムのひとつである『職場体験』を採りいれている中学校は日本全体で98.4%。今はほとんどすべての中学校で職場体験が行われています。
2017年3月に学習指導要領の改訂が予定されています。そこでは小中高とも「キャリア教育」の実践が義務づけられる予定ですので、今よりもより全国的な水準は高まってくるかと思います。
教員から文部科学省の調査官へ――山あり谷ありのキャリア
―藤田先生は2008年から5年間、文科省で「キャリア教育」の導入を進めておられました。入省までにどのようないきさつがあったのでしょう?
大学院を修了してから、私は千葉県にある中央学院大学の講師をしていました。5年ほど勤め、その後1998年からは、母校である筑波大の教育制度学研究室の講師、准教授となり、10年ほど務めました。
文科省主導による「キャリア教育」がスタートしたのは、母校に戻って数年後でした。当時、文科省のキャリア教育担当調査官をされていたのは和歌山県の教育委員会から出向されていた宮下和己先生(※)で、私は宮下先生からお声をかけていただき、キャリア教育に関連する委員会や審議会などに参加させていただくようになりました。
しかし諸事情あって宮下先生がどうしても和歌山に戻らなければならなくなり、急きょ後任として、私が指名されたのです。
お話をいただいたのは12月の末。大学ではすでに来年度の役割分担も時間割も決まっている状態です。まさに寝耳に水でした。
でも宮下先生がこれまで全力を尽くされていたことはよく分かっておりましたし、このまま「キャリア教育」が停滞してしまうのを脇で黙って見ているわけにはいきません。こうなったからには覚悟を決めよう、と決心し、お話をお受けして文科省に入省しました。
―そうなると、一度、筑波大の教師を辞めるという形に……。
そうなんです。しかも翌年の役割分担がすべて決まっているのに、自分の役目を放り捨てていくような形ですよね。ですから、「ああ、もう筑波大との縁はこれで終わったんだ……」と思いました。
でも文科省で同僚たちとこつこつとキャリア教育の施策を進め、少しずつ手ごたえを感じ始めたころ、筑波大の先輩から連絡があったんです。筑波大で「キャリア教育学研究室」を立ち上げる話が出ているから、お前もその立ち上げ要員に応募したらどうだ? と。
周囲に迷惑をかけて退職した身ですからさすがにためらいましたけれど、先輩に言われたら応募しないわけにはいきません(笑)。そこで改めて筑波大に教員として応募し、採用していただいたというわけです。
―藤田先生の文科省での実績が認められたのですね。実際に調査官のお仕事とは、どのようなものでしたか?
2つの機能を持っていまして。1つは「キャリア教育」の研究者としての機能。全国から学校教育に関するデータを集めて分析をする係です。
2つめは、施策をつくる係。こういう指針をつくりましょう、こういう答申の方向性を具体化するためにこんな仕組みを作りましょう……といったものですね。
―調査官時代に一番苦労したことは何ですか?
2009年の事業仕分けで、予算がゼロになったことですね……あれは本当に泣こうと思いました(苦笑)。「キャリア教育」は地方行政、教育委員会の範疇だから、国がやる必要はないと判断されてしまったんです。
ですから事務費の徹底的な節約をしたり、関連するところから予算を使わせてもらったりと、ちょこちょこ工面して、なんとか国の方針となるキャリア教育プログラムの冊子を作成することができました。あれは……本当につらかったです(笑)。
―藤田先生は学部生への講義でも「キャリア教育」を教えていらっしゃいます。大学生が「キャリア教育」を学んでいく意義は何でしょう?
グローバル化が進み、今までのやり方が踏襲できない社会になってきています。「キャリア教育」も、常に新しいやり方、在り方であるべきだろうと思います。
そうなると、若い学生のようにフレッシュな視点で、その時代の社会を切り取っていける力はとても重要です。常に変容していく時代に対応できるよう「新しいキャリア教育」を生み出してほしいと思っています。
教育制度そのものに疑問を感じた “落ちこぼれ” の学生時代
―そもそも藤田先生は、どうして教育学の研究者になろうと思ったのですか?
僕は茨城の田舎の出身で、両親は小学校の教員でした。でも、今よりももっと広い世界を見たくって、高校入学してすぐアメリカへ1年、留学に行ったんです。
数学が得意で、課題をあっという間に終わらせてしまい「もうお前に教えることはないよ」と先生に言われてしまいました。だから留学期間中の後半は数学を全然やらなかったんです。そのせいか、日本に帰ってきたらまったくできなくなってしまいました……。
帰国した時は高校2年生でしたが、数学どころか受験勉強そのものが本当につまんなくてですね(笑)。こんな勉強に、果たしてどこまで意味があるのだろうと……。
もちろん、僕らの親世代もやってきたことですから根拠がないわけないんでしょうけれど、少なくとも、自分にとって意味があるものとは思えませんでした。
じゃあ、どういう理屈で今のような教育になったのか。誰がどうして、今の教育制度にしたのか。それをちゃんと知ってから文句を言おうと、進学先を教育学のある大学に絞りました。そして文部省(現:文部科学省)の官僚になって、教育制度を変えたいと思ったんです。
―なるほど。では最初から文部省を目指そうとされていたのですね。
ところがですね。調べてみたら、当時の文部省に入るためには99%、行政や法律を学んだ人でなければ試験を突破するのが難しいと知りました。もう高校3年生の終盤になっていたのでもっと早く気づけよという話ですが(笑)とにかくこのままではただの負け戦になってしまうので、もう一度よく考えてみました。
文部省に限らず、行政の施策というのはなんらかの客観的データや事実に基づいてつくられているはず。なら、そのデータをつくる側になればいい。研究者になって、行政が絶対に無視できない、根拠となるデータづくりができる仕事をしようと。
それで某国立大を目指すため、勉強をがんばったのですが始めたのが遅かったですし、結局すべて落ちて1浪をしました。
―それからは勉強をがんばって……。
ところがですね(笑)。親を説得して東京の予備校に行かせてもらったものの、内緒でアルバイトに手を出してしまい、当然のことながら、共通一次、今で言うセンター試験の成績が思わしくなく、目指した国立大は落ちることが明白でした。
でも私立の第一志望校は受かったので、そっちに行きたいと親に相談したら「5教科7科目がんばると言って東京に行ったのだから、ちゃんと国立大に受かって1年間の成果を見せなさい」と言われてしまったんです。
仕方ないので、受かる自信があって親も納得する大学をと探しましたら、それが当時の筑波大学・第二学群・比較文化学類(※)でした。そこは得意科目で受験ができたので無事に合格できました。
結果は出せた。これで私立に行けるぞ!と思っていたのですが……親に「高校の時、全然勉強していなかったでしょ。わざわざ東京に出て1浪したのに国立の第一志望校にも受からず、このまま都内の私立に行ったらまた4年間無意味に遊んで過ごすに決まってる。そんなムダ金を私たちは払うつもりはないから、地元の筑波大に行きなさい」……と、こんこんと説き伏せられてしまいまして。
学費を出さないって言われてしまったら仕方ありませんので、とりあえず筑波大に入学しました。でも、ただ受かるために選んだだけなので、比較文化学類って何を学ぶところなのかさっぱりわからない(笑)。困ってしまいましたね。
―授業を受けてみても、あまりしっくりこなかったのですか?
もう全然。今でも忘れませんけれど、初めての授業は古代オリエント史でした。先生はすごく熱心にお話をされていたんですが……もう、どう聞いても関心が湧かない(笑)。先生には申し訳ないですが「僕には関係ないし」って思ってしまって。高校からこの時まで、本当に“落ちこぼれ”でした。
これを4年間続けるなんて冗談じゃない。そう思って、改めてやりたかった教育学に目を向けました。その時初めて、筑波大の第二学群・人間学類(当時)の下に「教育学主専攻」があったのを知ったので、大学2年の時、転類試験を受けて人間学類に転類しました。
このころから大学院を目指して、高校時代を取り返すくらいに勉強しました。教育学のおもしろさに触れて、そこで初めて勉強に熱心になりましたね。
―大学院を目指して勉強する以外に、何かがんばっていたことはありましたか?
実は、僕は高校の時から学園祭が好きでして、高校では学園祭で出す演劇のシナリオを書いたり端役で出たりもしていました。大学の時も友達3人で学園祭でパフォーマンスをしたりしました。
―何かアルバイトはしていましたか?
浪人時代からバーテンとか居酒屋さんとか、ずっと水商売をしていました。大学後半からは学習塾ですね。シフト制で効率よく入れたし、時給も高かったですし(笑)。
大学院に入ってからは、予備校で高校生や浪人生に英語を教えていました。
―高校の時から、受験のための勉強に納得がいかなかったわけですよね。バイトとはいえ、受験科目を教える立場になり、気持ちの整理はつけていたのでしょうか?
そうですね、たとえば「英語にも敬語にあたる言葉があるんだよ」とか「この人物は実はこういうエピソードがあって……」というような話をすると、子どもたちってすごく興味津々に聞いてくれるんです。
だから教材に書いてあること、受験勉強以外のことでも勉強に対する興味関心を引くことができるんだと、その時すごく実感することができました。
―文科省の調査官になるまでに、デンマーク教育大学院の客員研究員もされたそうですね。
大学の教員が応募できる研究者の派遣制度がありまして、1年間を限度として、違う機関で研究ができるんです。その制度を使ってデンマークに行きました。
デンマークは実はキャリア教育がとても進んでいる国で、しかも日本の学校のようにクラス担任制を採っていたので、日本の教育制度と比較がしやすかったんです。
デンマークには、学校を支援する「キャリア教育支援センター」みたいな場所がありました。そこにはキャリア教育の専門家がいて、学校と生徒の一人一人を、非常に細やかにフォローする体制が整っていました。驚きましたね。
日本はデンマークに比べると人口が圧倒的に多いので、そのままシステムを持ち込むことは難しいですが、“人材育成の大切さ”をそこで学ぶことができました。
未来は暗いだけじゃない! 「暗」の裏に必ず「明」がある
―今の学生に対し、藤田先生はどのような印象をお持ちですか?
僕はすごく肯定的に捉えていますね。情報処理能力に長けているし、多様なツールを上手に使ってネットワークを構築することもできる。災害があればSNSを使って人を集めて、パッとボランティアに行ったりしますでしょう。そういった機動力もものすごいですよね。
―藤田先生のように、研究者の道を選ぶ人へ、何かアドバイスはありますか?
先行研究を大切にしない研究者にはなるな、とよく学生には言っています。
誰にでも必ず「これはほかにはない、いいアイデアだ!」と思う瞬間がありますけれど、大概は何年、何十年も前に、誰かが同じような発想をしているものです。
だから必ず先行研究は調べて、その時代背景を踏まえたうえで、当時はどう対応したのかを明らかにすること。
僕らの先達たちが長い間、積み重ねてきた研究の上に、僕らは乗っているのです。そういう意識を持たないと、狭くて傲慢な研究になってしまうでしょう。
―藤田先生の将来の夢は何ですか?
今後も、受験勉強は楽にはならないと思うんです。でもそれが将来の自分たちにとって確かに意味のあるものだと、ちゃんと実感できる教育環境をつくりたいですね。 僕のような高校生を再生産しちゃダメだと(笑)。
―最後に、記事を読んでいる学生へメッセージをいただけますでしょうか。
今の若い方はみんな、将来に対して暗いイメージを持っていますよね。僕らの時代のように何の根拠もなく「未来は明るい!」と信じることができない。
それはとてもよくわかりますし、確かに日本の将来に暗い側面があるのも事実です。でも、本当にそれだけでしょうか。
物事は常に多面的で、そこには必ず「明」と「暗」があります。メディアで報道されているようなことも、誰かが一面の情報で切り取って伝えているにすぎません。
「暗」の情報にも「明」があり、そしてその逆もあるということ。
そういう複眼的な視点を持つクセをつけてほしいなって思います。
[取材・執筆・構成・撮影]真田明日美