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真摯に・素直に・誠実であれ
―自分を取り繕わず、正直になろう―

株式会社ウィナス 浜辺拓
浜辺拓(はまべ  たく)
株式会社ウィナス 代表取締役社長

1976年、北海道札幌市生まれ。2000年、日本大学経済学部卒業後に株式会社光通信へ入社。レンタルサーバー事業におけるBtoB(企業間取引)ポータルサイトの立ち上げを行う。2001年、株式会社ザッパラスに転職し、ソリューション営業部の統括部長としてBtoB事業の新規立ち上げに携わるほか、受託開発、ASPの構築・提供などを行う。2004年、株式会社ウィナスを設立し、IT分野をはじめとする幅広いトータルプロデュースを展開している。

コンサルからマーケティングまで、ソリューション事業を一手に受ける

―まずは、ウィナスの事業内容についてご説明をお願いします。

  メインとなるのは、企業様を対象とする、スマートフォンやタブレットなどのモバイル端末を介したソリューション事業です。具体的には、自社サイトをスマートフォンに対応させたい、モバイル向けのECサイトをつくりたい、などといった要望や課題に対して、弊社から最適なプランをご提案・構築するというものになります。

  当社はコンサルティングからスマホアプリの制作、システムの開発・運用、リリース後のマーケティングの分析まで、一括してお引き受けできるのが特徴です。また、WEBプロモーション領域(リスティング広告等)や、フェイスブックを主とするSNSを使ったプロモーション、キャンペーンなども当社でプロデュースさせて頂きております。

―御社は大手不動産会社のポータルサイトを多数、手がけていらっしゃいますね。その業界に強みがあるのでしょうか?

  確かに、これまでたくさんの大手の不動産会社様のお手伝いをしてきましたが、結果として多くなっただけで、不動産に特化しているわけではありません。実は当時、一般購入者向けのモバイルマーケティングが不動産業界に浸透していなかったので、その方向性でCHINTAIさんに提案し、お仕事をさせてもらったところ、アクセス数が200%くらい伸びまして。それを見たほかの大手不動産会社さんから多数お声がけをいただくようになった、という経緯があります。

  不動産業界だけでなく、ほかにもホテル、証券会社、テレビ局、航空会社、化粧品会社、料理教室、コンビニといったところでも、ご一緒させていただいていますよ。各社へのアプローチの方法や提供する機能こそ違いはありますが、そこに至るまでのプロセスや最終的な課題というのは、業界とか業種に関係なく基本的に一緒です。その課題を、どうクリアしていくか。それが当社の目的ですね。

アルバイトで湧いた「ある感情」が、人生の方向性を決めることに

株式会社ウィナス浜辺拓社長

―浜辺さんはどのような学生生活を送ってこられたのでしょう?

  正直、そこまでたいした学生生活はしていません(笑)。特に勉強に注力していたわけでもありませんし。趣味ですとバイクが好きなので、ツーリングをよくしました。近場が多かったですが、ひとりで東京から北海道まで行ったこともあります。サークルは入っていましたが、和気あいあいと飲んでいるサークルだったので、すぐに辞めてしまいましたね。あとは、小学校6年生の時からギターをやっていたので、それを弾いて遊んでいた程度です。

  アルバイトは主に2つしていました。ひとつはバイク好きだったこともあり、ファーストフード店のデリバリーの仕事で、2年間ほど続けましたね。もうひとつは、コンサートやライブのイベントスタッフです。音楽は好きでしたから。

―アルバイトをしていたなかで、現在までに活かされていることはありますか?

  デリバリーのアルバイトを行っていた時のことです。本社からスーパーバイザーと呼ばれる担当者が店舗へ視察に来る日があるんですが、この日程が決まると、店長や副店長が掃除をし始め、アルバイトもあれこれ指示されてバタバタと準備するんです。視察当日は、みんなで並んで「おはようございます!」と迎える。そこに入ってくるスーパーバイザーの様子が、まあ~エラそうなんですよ(笑)。でも、「エラそうな奴だな」と思ったと同時に、「あの立場に自分もなりたい」って思ったんです。言い方は悪いですが、自分も人を使う側になりたい、「偉くなりたい」と。

  就職活動の時にいろんな説明会に行ってはいたんですが、どの仕事内容にも興味が持てなくて……。じゃあ、自分は将来どうなりたいか、と考えた時に出た答えが、そのアルバイトで感じた「偉くなりたい」という気持ちだったんです。偉くなるといえば、社長だな。じゃあ、自分が社長になるために、一番自分に合った会社に入ろう!と思いました。それで3社内定をいただいたなかから選んだのが、光通信です。

  当時の光通信は、仕事が本当に厳しいことで有名でした。でも、実は光通信には内定者数百名のなかから20名程度、将来の「幹部候補生」を育てるという、特別枠での内定通知ががあったんですよ。まさに「これだ!」と思いましたね。それが入社の決め手となりました。

―社長を目指す浜辺さんにうってつけの採用枠だったのですね。
  でも、そもそも職種や業務内容に全く興味がないのに、会社の面接に臨むというのは、かなりハードルが高いように思えます。どのように自分をアピールしたのでしょう?

  もちろん、一応それなりの志望動機を考えてはいたんですが……それは自分の本当の気持ちじゃない、全部ウソだな、って思ったんです。

  光通信の最終面接でのことです。面接場所がいくつものパーテーションで区切られていて、たくさんの就活生が別室で待機させられていました。でもそこで待っている間、すこーし、会話が聞こえてくるんです。「あなたの夢は何ですか?」「あなたは今後、何をしていきたいですか?」……それに対して学生が「自己実現をしたいです」「○○をやって、御社に貢献したい」とか答えている。それを聞きながら自分はもう、「全く興味ねえわ」と思っていて(笑)。 そして自分の番になって同じことを聞かれた時、仕方ないのでもう「(バイクの)ハーレーを買いたいですね!」とストレートに答えました。そうしたら、面接官の人が「ああ、うちに来たらすぐに買えるよ」と答えて。「あ。それなら是非、買わせてください」……と、これで内定を出してもらえた感じです(笑)。

―なるほど。正直に動機を伝えたことによって、相手に好印象を持たれた、ということでしょうか。

  というよりも、自分の正直な考えが会社に合わなければ、入ってもキツいだけじゃないですか。だから偉くなりたい、社長になりたいと思ってからは、その時その場で質問されたことには全部、正直に考えを伝えるようにしたんです。それを、光通信が受け入れてくれたんだと思います。
  ほかにも、テレビ局に面接に行った時なんかは「あの時間帯の番組、つまんないっすね」とか、ハッキリ言っていましたよ。……まあ、そこは落とされましたけど(笑)。

超過酷な研修に、脱落者が続出! それでも前に進めた理由とは

新卒時代について語る浜辺社長

―光通信へ入社されてからは、どのような業務に就かれましたか?

  幹部候補生以外の内定者は全員、営業の研修を受けましたね。でもそれとは別に、僕ら20人程度の幹部候補生たちは、入社の半年以上前から合宿のような研修を2回受けたんです。コンサルタント会社が主催する研修で、各大手メーカーの経営分析とか、M&A(合併や買収)のやり方などを、朝から夜中まで1週間、みっちりと勉強させられました。だから、どこかでエリート意識というか、ほかの内定者とは違うんだ、という意識がありましたね。

  ところが、4月に正式に営業として入社してみると、見るからに怖そうな先輩が出てきましてね。その人に厳しく尻を叩かれ、飛び込み営業をガンガンさせられました。それが2週間くらい続いたんですけど、2日目で1人辞め、5日目で3人辞め……あまりに過酷で、鼻っ柱を見事に折られました。

  でもなんとかそれを終えて、ネット系事業部として本社勤務となりました。そこでレンタルサーバーのポータル事業に携わりましたね。しかし、そのころ、光通信そのものの事業が落ち込んでいて、ポータル事業部も解散になってしまい……リストラの波が襲いました。

  けれど、当時の事業部のトップの人が僕を推薦してくれて、僕はグループ会社全体を管理・統括する部署へ移ることになりました。そこでは経理、財務、投資、そしてリストラする側として関わることになりましたね。

―まだ、入社して1年目の時ですよね?

  そうですよ。税金の知識なんて全くないのに、税務署へ交渉に行かされたり、地方のグループの関連会社へ抜き打ちの監査をしたりしました。例えば、ある会社に融資をするかしないかを僕が報告書を作成するんですけれど、僕がここでノーといったら、会社がつぶれる可能性があるわけです。でも、もし融資するなら、現状はどうか、将来性があるのか。それを報告書にまとめなければならない。

  本当に仕事は大変でした。何度も「ふざけんな!」と思いましたし、休めないし、メンタル的にもボロボロになりましたよ。でも自分が目指す目標のため……「偉くなるんだ」という想いが支えになりましたし、そのためにいろんな経験ができたと思っています。とても感謝しているんです。だから未だに、光通信は大好きな会社ですよ。

―つらい経験をした場所をずっと好きでいられるというのは、本当に素敵ですね。しかし入社して約2年後にはザッパラスに転職されますが、その理由は何でしょうか。

  光通信でいろんな仕事に携わり、上っ面ですが自分のなかである程度の業務経験が出来たという気持ちがありました。そこへ、ザッパラスに転職していた知り合いが、ザッパラスが新規事業を立ち上げて人材を探しているから来ないか、と声をかけてくれたんです。僕はその時、光通信は、確かにいろんな経験はさせてはもらえるけど、大企業だし、自分の考えや意見を反映させるのはかなり難しいと感じていたんです。いつか社長になる夢を追うなら、ベンチャーに行って、そういった新規事業に携わったほうが早いのかなと思いました。

―なるほど。そこで、ソリューション事業に携わり、事業部長を務められると。

  もちろん、いきなり事業部長になったわけではありません。ザッパラスはユーザー向けの占いを中心としたサイトを運営している会社ですが、僕はもう、占いなんて全く興味なくて(笑)。ちょうどザッパラスが伸び悩んでいた時期で、僕は会長に向かって「BtoBのソリューションビジネスをやらないとダメですよ」なんて、エラそうなこと言ったんですよ。そうしたら、「じゃあ、お前がやれ」と(笑)。そうして任されることになりました。

  でも、ザッパラスには法人向けのノウハウが全くなくて、最初は手さぐり状態でしたね。とりあえず、ザッパラスの強みである「占い」の資産を、対企業向けに展開していこうと考えました。具体的にはASP、占いを対企業向けにレンタルしていく仕事ですね。あとは、いろんなシステムやキャンペーンを、占いを絡めてまるごと受注し、サービスを提供したり。これらは、今の事業内容につながっていくものになりますね。

起業していきなり当たった、高い「信用」の壁。そこで得たものとは

WINAS起業の経緯を語る浜辺さん

―入社して3年後にはウィナスを起業されますね。やはり始めから、モバイル分野でソリューション事業を手がけていこうと?

  そうですね。ソリューションは「問題を解決する」という意味ですが、何年、何十年と経とうが、その時々で問題・課題というのは必ず起こるものですから、ある意味、永遠にビジネスチャンスがある。それを今は誰もが持ち始めた携帯電話を使って解決していくのだから、まだまだこの分野は成長領域があるなと思いまして。とはいえ、全くのゼロベーススタートでしたので、とにかくテレアポをし、自主提案していきました。でも、当然ながら1件も決まらないどころか、相手にもされない。それが半年以上、続きましたね。

―転機となったのは、飲料メーカーのポッカとの仕事だとうかがいました。

  たまたまですが、月2万でメルマガの原稿を書くというお仕事をポッカさんからいただいたんです。もちろん、そんな仕事は今まで経験がなかったわけですが、ポッカさんのWEBサイトやプロモーションの仕方をよく見ていたら、まだまだ改善する余地があると感じたんですよ。ポッカさんといえば缶コーヒーですけれど、販促の仕方がどうも、強みを活かしきれていないな、と。なので、メルマガのお仕事でも何でも、まずは入り込んで、いずれいろいろ提案していけばいいと考えました。

  コカコーラさんとかサントリーさんですと、1億人を対象にしたマーケティング展開をしています。そのためにテレビCMをバンバン打っているんですが、当時のポッカさんの規模ではそうもいかなかった。だからそれよりも、「缶コーヒーを飲むならポッカ」と思うポッカファンを、1億人じゃなく100万人つくりましょう、というコンセプトで提案しました。理解していただくのに1年かかりましたが、結果的に「キレートレモン」に代表されるような派生ブランドが次々と生まれ、ポッカさんの販促プラットフォームをすべて当社が担う形になりました。月2万円から始まった仕事が、年間で億近い仕事となったんです。その実績を見て他社さんからの引き合いも多くなり、起業してから3~4年間は、こちらから営業をかけなくても回すのも手一杯なくらいまでになりました。

―小さなメルマガの仕事を入口にして、大きなビジネスチャンスを引き寄せたんですね。
  それまで様々なご苦労があったと思いますが、そのなかでも、「これは予想外だった」と思ったことはありますか?

  起業して最初に面食らったのは、会社を登記し、銀行に口座をつくろうとした時のことです。資本金1500万の現金を持って池袋の銀行に向かったんですが、僕は「1500万円の預金をするんだ。銀行も諸手を挙げて、大歓迎してくれるだろう」と思っていたんです。ところが「1500万円あるので口座を開きたい」と伝えたところ、支店長が出てきて、一言、「お帰りください」……と。その場で門前払いされたんです。

  あとで会計士から聞いて初めて知ったんですが、きちんとした事業計画を記した資料を持って説明しないと、口座というのはなかなか開けないんです。銀行側も、得体のしれない会社の口座なんか開きたくないんですね。結局、その会計士の友達が麹町の銀行の支店長をやっていたので、自分の素性を明かして会ってもらい、事業説明をしっかりして、ようやく口座を開けたといった具合です。

  僕は、自分のなかでは27という年齢で事業部長もやり、年収も同年代より高くて、そこそこ「俺はできる奴なんだ!」と自負していました。でもどんなに、こちらがすごいと思っているプランを立てたとしても、「(会社に)実績がない」「社会的信用がない」というのはこんなにも弱いものだと、この時まざまざと思い知らされましたね。ものすごい衝撃でした。同じように、事務所すらなかなか借りられない状況で、ようやく池袋のマンションの一室を見つけられたほどです。

  だからビジネスにおいては、サービス内容よりも何よりも、まず信用・信頼だなって思いました。だから今でも、仕事において信用・信頼というもの裏切らないことを第一としています。それを最初に気づくことができて、本当によかったと思っています。

自分はどうなりたいのか。それを理解してくれる会社を選ぼう

株式会社ウィナスエントランスにて

―これから入社される方に求めていることは何でしょうか?

  我々は「価値の創造」を重要視しています。ウィナスという会社がやって価値が出るものをやろう、と。仕事というのは作業ではなく、クリエイティブなものです。だから、社員には「考えるクセ」を持つようにしてほしいと思っています。ただ、それができるようになるには、ある程度時間がかかりますので、それまで素直に、真摯に仕事に取り組める人に入社してもらいたいですね。自分なんかまだまだだ、もっとこうしよう、と、自分の気持ちに正直に向き合える人。学歴とかスキルとかITの知識とか、そんなものはどうでもいいんです。

  僕自身、「社長、社長」とチヤホヤされる立場ですが、それで偉くなった気になったら終わりだ、と自分に言い聞かせています。だから社員にも、自分にも他人にも素直に誠実であれ、と伝えていますね。中途も新卒もアルバイトも、そこに尽きるかなと思います。

―「偉くなりたい」が出発点だった浜辺さんだけに、重みのある言葉ですね。
  最後に、これから就職活動をする人や起業したい人へ、何かアドバイスはございますか?

  どれだけきちんと自分に向き合えるか、ですね。1日の大半は仕事。自分を取り繕った状態で仕事をすれば当然つまらないし、つまらない仕事をするのは、つまらない人生を送るのと同じことなんですよ。

  僕は、光通信に入社する時、みんなから「後悔するぞ」って言われました。確かに厳しくて、「失敗したな~」とは思ったんです(笑)。でも、後悔はしなかったですよ。自分が選んで、一番自分が望んでいることに近い会社だと思って入社しましたから。親や誰かに言われて選んだ道って、きっと後悔するし、後悔したところから生まれるものはありません。だから、本当に自分は何を望んでいるのか。一度、自分のなかで「自分はこうなりたいんだ!」って想いをまとめたほうがいいと思います。身近な、現実的な希望でいいんです。車買いたい、旅行に行きたい、自分の友達や親や恋人に「すごいね」って一言、言ってもらいたい……恥ずかしがらずにね。それを理解してくれる会社で働いて、そこで得た経験や考え方を自分の引き出しに貯めていきましょう。そのなかから、自分の人生の選択をしていってほしいと思います。

[取材] 高橋秀明・真田明日美 [執筆・構成・撮影(トップ写真)] 真田明日美

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