クリスマスに初詣……日本人の宗教観はホントに特殊? 今こそ知るべき「宗教社会学」の世界
- 井上 順孝(いのうえ のぶたか)
- 國學院大學 神道文化学部 神道文化学科 教授 國學院大學研究開発推進機構長 日本文化研究所所長 公益財団法人 国際宗教研究所 宗教情報リサーチセンター長 宗教文化教育推進センター 事務局長
1948年生まれ、鹿児島県出身。東京大学文学部卒業後、同大学大学院人文科学研究科博士課程を中退して東京大学文学部助手となり、1982年に國學院大學日本文化研究所の専任講師に。1986年より同助教授、1992年より同教授。2002年より現職。宗教が人の行動や文化に与える影響を調べる宗教社会学や、現代の新宗教研究の第一人者。 主な著書・編著に『<日本文化>はどこにあるか』『要点解説 90分でわかる! ビジネスマンのための「世界の宗教」超入門』『世界の宗教は人間に何を禁じてきたか』『<オウム真理教>を検証する』など多数。
イスラム教徒の人を食事に誘うには?――宗教観を認め、発想することが大切
―井上先生のご専門である「宗教社会学」とは、どのような学問ですか?
宗教学のなかでも、特に社会や文化との関わりに焦点を当てた学問です。
我々日本人はあまり意識していませんが、言葉や習慣など、人の営みや行動のなかには宗教の影響が随所に見られます。宗教によって個人の人生を大きく左右することもあります。それを自覚化させていく研究です。
―初詣からお墓参り、ハロウィン、クリスマス……と、日本人は雑多な宗教観の中で生活しています。その点は、世界からどう見られているのでしょう。
いろんな宗教が1人の人生に絡んでいるというのは、東アジアの諸国では珍しくありません。またインドなどでも、ヒンドゥー教と仏教が相互に影響しあっているという現象が見られます。
明治神宮などに行くと、アジアの人が参拝しているのを見かけることがあります。あれも特に違和感がないからでしょう。そういうことに気づけば、日本だけが特殊というふうには考えられなくなります。
―井上先生が、今一番力を入れている研究を教えてください。
ここ10年くらいは現代宗教の展開の様相や、宗教文化教育はどのような内容が適切かといったことを集中的に研究しています。
その是非は別として、グローバル化自体はますます進行しますので、次世代に伝えるべき宗教文化、知識、ものの見方は何か、というのが気になるからです。
ものの見方は宗教ごとに異なります。死生観ひとつとっても、天国と地獄があるのか、それとも輪廻転生をするのか……それはそれぞれの地域で長年受け継いできた考えであり常識でしたから、その地域にいる限りは、ほかの宗教のことを知らなくてもよかったかもしれません。
けれども、今は自分と根本から違う考えの人と日常的に接する時代に入りました。そうなるとこれまでのように、その地域のルールだけでやっていこうとしても軋轢を生みかねないですよね。
ルールすべてを知ることはムリですが、それでも主だったものの違いや注意すべきことくらいは知っておかないと、これから働くうえでも問題が出てくるでしょう。実際に、宗教にあまり配慮しなかったがために何億円もの損失を出した企業もあります。
研究者はもちろんのこと、一般の人々も宗教についてある程度理解をしておくべきです。2011年に設立した宗教文化教育推進センターも、そういった理念に基づいて運営しています。
―世界の三大宗教(キリスト教、仏教、イスラム教)のなかでもいろんな宗派がありますよね。たとえばあまり知らない宗派の人に対して、具体的にはどう対応すべきでしょうか。
たとえばイスラム教徒の人を食事にさそう場合、「禁忌としているものがある」という基本的なことを踏まえたうえで「食べられないものはありますか」と聞けば、もう相手のことを思いやっているのが分かります。細かなことは、その人に聞けば問題ありません。
大切なのは、「それじゃ、食べられるところに行こう」という発想になるかどうかです。「豚肉を食べられない? 変な人たちだ」と拒絶するのではなく、「なるほど、この人たちにとって豚肉は嫌なものなんだ」と受け入れること。頭でグローバル化だ、ダイバーシティ(多様性)だ、と理解しているつもりでも、それが行動に表れなければ意味がありません。
失敗することもありますけれど、それは仕方がないことです。そういう経験のなかでいろんなものの見方を学び、人生が豊かになっていけばいいのです。
これからの時代に期待したい、若い世代の感覚
―学生は、どんなテーマに関心を寄せていることが多いですか?
オウム真理教やIS(イスラム国)など、事件性や話題性のあったことは関心を持たれやすいですね。それと占いや死後の世界など、サブカルやオカルト的なことも一定程度あります。これは昔も今も変わらないですね。
―どうしても宗教はネガティブなイメージを持たれやすいです。
そもそも宗教がこれほどの力を持ったのは、そこには生きる知恵があり、文化の水準が非常に高いものだったからです。ですので「この宗教は何を目指そうとしたのか」という部分にも、目を向けることが大切だと思っています。
やはり主な宗教のベーシックな部分だけでも若いうちに勉強しておいたほうがいいです。そうすると、現代の枠組みのなかでどう取り組めばいいかも考えやすくなります。
―最近は外国人の方を積極的に採用する企業も増えてきました。これからの時代、企業側は宗教にどう向き合えばいいでしょうか。
営利を求めるなかで、宗教文化に関わることも出てくるでしょう。まずはそのノウハウを各企業で蓄積していけばいいと思います。こうした企業からもアウトソーシングが可能な宗教文化教育センターのようなものをつくれればと考えています。
ネットワークの構築やデータベース化など、そのあたりがまだまだ足りていないですね。
―この10年で世の中の様相も急激に変わりましたから、なかなか対応が追いついていないのですね。
でも、“多様性を認める”という感覚については、若い世代はわりとスッと受け入れてくれますよね。むしろ我々のような古い世代の先生のほうが、頭がカタい人が多くて(笑)。
今は情報が多すぎて、宗教についても、どの情報を基盤にしたらいいかわからず迷ってしまいがちです。その点において、私は若い世代の柔軟な感覚に期待をしています。
―先生が受け持っていらっしゃる神道文化学部の学生の主な進路先はどこになりますか?
何人かは最初から神職を目指しています。そういう人は、「宗教のことを広く知っておきたい」という考えで私のゼミに来るのだと思います。
ほかですと、マスコミとか公務員、教員も時たまいますが、ほとんどは一般企業が多いと思います。「神道文化学部にいた」というと、興味を持ってくれる企業がけっこうあるみたいですね(笑)。もちろん、それで採用されるかどうかは別問題ですが。
―海外からの留学生も多いのでしょうか?
大学院の私のゼミにはいつもいます。今ですとエストニアと中国、これまでですとベトナムや、フランス、アメリカ、韓国……。欧米、アジア各国から、幅広くこちらに学びに来ます。
宗教社会学って、特に中国やベトナムのような社会主義の国では制約があって深くまで研究ができないんですよ。だから「日本だとここまで研究ができるんだ!」って喜びますね(笑)。
東大紛争で目覚めた“学び”への渇望
―先生は宗教のどんなところに興味を持たれたのですか?
宗教って“謎”なんですよね。たとえば政治や経済の場合、権力を持ちたい、お金をもうけたい、という思いが大前提にある。そこに対して、あまり疑問は持たれませんよね。
でも宗教の場合、見えてもいないものをなぜ信じるのか、どうして戒律を生涯守り続けるのか……など、人間の行動や考え方として「なんで?」と思える部分がいくらでもある。そこがおもしろそうだなと思ったんです。
ですので、最初は宗教心理学とか、宗教思想に興味がありました。30歳前後でたまたま地域調査をする機会がありまして、そこから宗教社会学の分野に入っていきました。
私は「宗教社会学」という看板でやってはいますが、今目の前で展開されていること、そしてそれを理解するため知るべきことは何かを探るために、いろんな学問の手法を使っています。最近は脳科学や認知科学の分野にも非常に興味がありますね。
―昔から、教育者になりたいと考えていたのですか?
小学校のころは先生もいいなと思ったりもしました。ただ家が貧しくて高校に入れるかもわからなかったので……でも奨学金のおかげでなんとか進学できました。
大学に入ってからは、伯父やいとこが新聞記者をやっていたこともあって、ジャーナリストもおもしろそうだなという気も持ちましたが。さほど強いものではなかったですね。
明確に大学院に行こう、と思ったのは、東大紛争(※)が一つのきっかけになったと思います。ちょうどそのまっただなかにいたことが関係します。
それまで自分はあんまり勉強が好きだとは思わなかったんですが、学校が封鎖されてしまったことで急に学び舎への渇望が出てきたんです。
学校が封鎖されている間はほかの大学の授業を聞きにいったりしていました。
―就職の道は特に考えなかったのでしょうか。
学部生時代は少林寺拳法部の主将をしていたので、文学部にも関わらず企業からのオファーはけっこうありました。けれど性格上、企業に入ったら真面目なモーレツ社員になるに違いないと思い、そういう人生、ちょっとどうなんだろうな……と。
それで大学院に入って博士課程の2年目になってすぐ、東大文学部の助手にならないかと先生方から言われました。博士課程になってほどない時期だったので悩みましたが、助手は国家公務員なので給料が入るし、アルバイトせずに勉強ができていいなって思いまして(笑)。
―学部生時代にアルバイトはされていませんでしたか?
家庭教師や塾の教師もやりましたが、東大に「襖(ふすま)クラブ」っていうのがあるんです。一般の家庭や旅館などのふすまや障子の張り替えをするサークルでして。いろんな家を見に行けておもしろかったです。団地ではどんなふうにして評判ができるのかも、なんとなく分かりました(笑)。
好きなことに熱中し、真実を受け入れることが、本当の研究者の姿
―井上先生といえば、現代の新宗教の研究も見逃せません。
30代の半ばごろにチームを組んで『新宗教事典』というのを手がけました。これはもう本当に大変でしたね。それまで新宗教に関する網羅的なデータはなかったですから。
夏休みも返上、暑いなか一つひとつの団体をまわって調査しました。飛び込みで取材もしましたよ。それで新しい教団もいくつか見つけました。
―オウム事件のことを考えると、なかなか私は勇気が出ないです……(笑)。途中で研究をやめたいなって思ったことはなかったのでしょうか。
それは別にないですね。やればやるほど、どんどんおもしろくなるんです。好きだからストレスもないんですよ。途中で投げ出すような人は、たぶん研究を別の目的でやっている人でしょう。
―研究者として、井上先生が一番大切にしていることは何ですか?
自分の今までの考え方をくつがえすようなことが出ても、それをすぐに受け入れるようにすること。何年、何十年経っても新しい発見はありますからね。今までの考えが間違いで、真実が別にあったとしたら、すぐに考えを改める姿勢が大切だと思っています。
教科書に書いてあることなんて、1000年、2000年の人の歴史のなかのほんの一部。さらにそのなかの人が一人ひとり、違う生き方をしているのですから、わからないことだらけで当然ですよ(笑)。でも、そういう違いの中にひそむ共通の仕組みを少しでも見つけた時は、本当におもしろいですね。
今まで説明がつかなかったことでも、その人が生まれ育った環境などからわかることもあります。お互いの「違い」への理解ができるようになれば、気持ちもおおらかになるはず。自分と異なる生き方、考え方を学ぶとは、そういうことなんです。
心のキャパシティを広げて、“わからないこと”を楽しもう
―たくさんのご著書を出しておられる井上先生ですが、学生にすすめたい本や、読書について何かアドバイスはありますか?
そうですね、最近学生にすすめているのは、「意識」の研究に関する本です。
どうして自分はこういう行動をするのか、行動のなかにどんな意識が潜んでいるのか……そういう研究ってここ20年くらいですごく発達してきていますから、「自分とは何か」ということに関して本当に知りたければ、意識の研究がどれくらい進んでいるかくらいは知っておいたほうがいいですね。
でも、本は自分が「おもしろい」と感じるものを読めばいいと思います。無理して読むのはつらいだけですからね。自分の知的好奇心をそそられる本をどんどん読んでほしいです。……マンガとは別に、ですよ?(笑)
―最後に、学生や若い人へメッセージをいただけますでしょうか。
これまでのことと重なりますが、より多くの人の考えを理解できるように、自分の心のキャパシティを広げていってほしいと思います。
人は物事の善悪にすぐ考えがいってしまいがちですが、それはことさら教育でやらなくてもだいたいみんなわかってることですよね。それでもつい、自分中心になったり、違うものを排斥してしまうことがある。そうならないために、学びが必要なんです。
かといって、勉強したから何かがわかるわけではありません。むしろ、知を得れば得るほど世界が広がって、わからないことが増えるんです。それが実に楽しい。そんな“わからないこと”を、皆さんも楽しんでほしいと思います。
[取材執筆・構成・インタビュー写真撮影] 真田明日美