演劇文化の裾野を広げて、早稲田大学演劇博物館の試み
- 岡室 美奈子(Minako Okamura)
- 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館 館長
早稲田大学 文化構想学部 表象・メディア論系 教授
1981年、立命館大学文学部文学科英米文学専攻を卒業。85年に早稲田大大学院文学研究科芸術学(演劇)の修士課程を修了したのち、86年にアイルランド政府奨学金留学生として国立アイルランド大学ダブリン校(UCD)に留学する。2008年に留学先でもあったUCDにて博士号を取得。早稲田大学文学部専任講師、助教授、教授を経て、07年より現職。13年から同大坪内博士記念演劇博物館の第8代館長に就任している。
専門ジャンルは、現代演劇やテレビドラマなど。不条理劇の『ゴドーを待ちながら』で知られる、アイルランド出身でフランスにて活躍した劇作家、サミュエル・ベケット(1906~89)の研究に力を注ぐ。訳を手がけた近著に『新訳ベケット戯曲全集1 [ゴドーを待ちながら / エンドゲーム]』(白水社)がある。ツイッター(@mokamuro)で積極的に情報発信を行い、特にテレビドラマに関する深い考察が注目を集めている。
早稲田大学坪内博士記念演劇博物館(早稲田キャンパス)
[設立]1928年10月 ※早稲田大学の前身である「東京専門学校」は1882年10月に創設
[所在地]東京都新宿区西早稲田1-6-1
[アクセス]東京メトロ東西線 / 都電荒川線 早稲田駅から徒歩5~10分
※内容はすべて取材当時のものとなります。
SNSでリアルタイム実況しながら観る『紅白歌合戦』が楽しいと気づいたのは、何年前の大みそかだったろう。
長寿バラエティ番組の終了、ドラマ視聴率下落の話題が報道され、 “テレビ離れ” がささやかれている昨今。
でも、筆者の日常にはいつもテレビがあります。
朝は化粧しながらニュース&天気予報、
帰宅してから深夜バラエティ、
土日休みで平日に録画したドラマの視聴に励む――。
特にドラマは娯楽と現実逃避を兼ねていて、感想戦をツイッターで検索することもしばしば。
そしてある日、赤べこのようにうなずき共感しながら、つい「いいね」してしまうツイートの主がいつも同じだということに気づきました。
そのアカウントは、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館の館長である、岡室美奈子先生。
#逃げ恥 逃げ恥のよかったところはいろいろあるけど、小賢しい女を肯定してくれたところにぐっときた。雰囲気に流れず流さず、最後までちゃんと契約の問題として理屈を通して「共同経営責任者」に行きついた。家庭の中で曖昧にされてきたことに小賢しいから踏み込めた。これってすごいことだと思う。
— 岡室美奈子 Minako Okamuro (@mokamuro) 2016年12月20日
#カルテット 一見ドーナツのように円を描いて唐揚レモンに戻ったようで、みんながドーナツホール=欠陥を持ったまま確実に前を向いた最終回。欠陥がピークに達して欠陥すら見失われそうな時に、欠陥を逆手に取ったとてつもなく強い選択があのコンサートだった。生きていくことの強い肯定。凄い。
— 岡室美奈子 Minako Okamuro (@mokamuro) 2017年3月21日
#ゆとりですがなにか 心の思春期は生きている限り続きます。山路先生、いいこと言う。大人も間違える。だから他人の間違いを許せる大人になろう。そういうゆとりなら、ぜひ持ちたいものだ。
— 岡室美奈子 Minako Okamuro (@mokamuro) 2016年6月19日
視聴者の思いを代弁するだけでなく、温かな視線で深い考察を添えてくださるツイートにいつも釘付けにされています。
機会があったらお話をお聞きしたいと感じていて、先日その機会に恵まれました。
ジャンルを超えた “攻め” の展示で、演劇の裾野を広げようと尽力されている岡室先生。
編集部では今回、盛況のうちに幕を下ろした2017年度春季企画展『テレビの見る夢 大テレビドラマ博覧会』の事例についてインタビュー。
作品研究を通じて文化を受信・発信する人材を育てる、岡室先生のゼミや演習の手法についてもお聞きしました。
時おり挟まれる、『逃げ恥』『カーネーション』といった人気ドラマの鋭い分析も必読です!
ドラマの可能性を考察して、テレビ文化を盛り上げたい
――演劇博物館がどのようなミッションを持っている場所か、館長のお立場からご説明いただけますか?
通称「エンパク」といって、アジアで唯一の総合的な演劇・映像の博物館です。
シェイクスピア全集の翻訳で知られる坪内逍遙の古希を記念し、その偉業を称えて1928年に設立されました。
収蔵品は100万点超ほど。
演劇は総合芸術なので、館蔵資料は戯曲や台本をはじめ、ポスター、衣裳、かつら、小道具から俳優の私物、模型や装置まで多種多様を極めています。
「洋の東西や古今を問わず資料を集めるように」というのが、逍遙以来の方針なんですよね。
だからエンパクって、演劇の研究者にとってはなじみ深い場所。
でも、デジタル時代においては「研究者から支持を集めているだけではダメだ」と危機感を覚えてもいて。
――危機感ってどういうことでしょう?
何でもインターネット上で完結できるようになってきたこのご時世において、劇場に足を運ばないと観られないのが “演劇”。
このアナログな文化が、どんどんマイナーになってしまうのではないか……と感じているんです。
ですから今は、ご覧いただくことで演劇文化の “裾野” を広げていけるような展示を目指しています。
地域に住む方や学生に、演劇の魅力を知ってもらえる場所に。
演劇好きや研究を志すような方をどんどん増やすお手伝いがしたいんです。
――演劇文化の “裾野” を広げるために、どのような切り口で展示やイベントを企画していこうと考えていらっしゃいますか?
“攻め” の展示ですね。
例えば去年(2017年)、フルーツパーラーで有名な新宿高野さんでやらせていただいた『あゝ新宿』(※1)という特別展がありました。
学外へ出ることも大きな “攻め” でしたが、演劇にとどまらず、映画・音楽・グラフィック・建築と新宿のさまざまな文化を取り上げたんです。
(※1)2017年6・7月に開催された『あゝ新宿 アングラ×ストリート×ジャズ展』を指す。演劇・映画のチラシやポスター、唐十郎らが結成した状況劇場の活動風景をとらえた写真、タウン誌の先駆けとなった『新宿プレイマップ』など、1960~70年代の新宿における街の熱気を多数の貴重な資料でひも解いた。
こんな風に演劇を核としながらも幅広いジャンルの芸術を取り上げて、文化を大きく捉え直す作業をしていけたら、もっと演劇文化の “裾野” が広がっていくような気がして。
――そういう意味で、2017年に開催された『テレビの見る夢 大テレビドラマ博覧会』は先生の目指すビジョンに寄与した事例だったのでは? と感じました。演劇博物館で、ジャンルの異なる “テレビドラマ” を取り上げた狙いを教えてください!
わたし、毎クール全作品を観るほど “大” のつくテレビドラマ好きで(笑)。
心に響くテレビドラマって本当にたくさんあると思うんですね。
例えば近年でしたら『逃げるは恥だが役に立つ』や『カルテット』といったような、SNSで話題になる作品が目立ちました。
一方で巷には「テレビは消耗品」といった考え方や、同じ映像作品でも「映画の方が上」という認識もあって。
ドラマ批評の仕事をする中で、テレビって文化的に価値が充分に認められていない印象を受けました。
でもそういう雰囲気に惑わされず、演劇博物館では「いいものはいい」という思いを発信していきたい――。
そこで芽生えたのは、わたしが館長の間にぜひ「文化としてのテレビ」をテーマに据えた企画展をやれたらという気持ちでした。
博物館には映画やテレビドラマの研究をしている助手がいたので、「じゃあドラマ展にしようか」って。
――楽しそうですよね! テレビドラマ展ってありそうでなかった気がします。
そうなんですよね。
リサーチを進めて分かったんですけど、日本ではテレビ局の垣根を超えて通史的にドラマを紹介するような展覧会って開催されたことがないようでした。
だからこそ「やりましょう」ということでNHKと民放キー局のご協力を得て、実現することができたんです。
――展示でこだわったのはどのような点ですか?
特にこだわったのは、古いドラマをブラウン管のテレビで見ていただく趣向ですね。
ブラウン管のテレビを70台くらい集めて昔のドラマを上映したところ、非常に好評をいただいて。
テレビドラマは1953年から今日にいたるまで、ずっと身近にある文化。
ですので本当にさまざまな年齢層の方が来てくださって、皆さんに喜んでいただくことができました。
――ご年配の方が昔を懐かしむだけにとどまらない趣向のような気がします。アナログ放送が終わって、地上波デジタル放送に完全移行(2011年)したテレビの歴史を感じさせてくれますね。
そうなんですよ。
博物館って、すでに評価の定まったものが置かれている印象があると思います。
でも古いものを展示するにしても “現代” との接点を設けて、今を生きる人たちに語りかけるような展示にしたかったんですよね。
だからテレビドラマ展の告知でも、「客観的でなく “主観的な” ドラマ史をやります」と謳って。
「現代に生きる私たちがいいと考えるものを展示します」ということで。
――そうだったんですね! 岡室先生の “主観” が炸裂した展示は何ですか?
「東日本大震災以降のドラマ」というコーナーでしょうか。
3.11以降、幽霊の出るドラマが増えているんですね。
生と死を “断絶” ではなく “連続” として捉えて、死者と一緒に生きていく――みたいなドラマが増えたのでは、という気づきを発信してみました。
――例えば、どんな作品がありますか?
宮藤官九郎さんの『11人もいる!』(※2)とか。
広末涼子さん演じる亡き妻の幽霊が、なぜか彼女が腹を痛めて産んでいない子にだけ見えるっていう。
一緒にいるのに、夫や自分が産んだ7人の子どもには見えないんですよね。
(※2)8人の子どもを抱える貧しい10人家族のもとに、亡くなった先妻が幽霊となって突然現れ、11人となった家族の東奔西走ぶりを描いたホームドラマ。2011年10~12月に、テレビ朝日系で放映された。キャストに神木隆之介、田辺誠一、光浦靖子、加藤清史郎、広末涼子ら。
あと、震災があった年の秋に放送されたNHKの朝ドラ『カーネーション』(※3)。
多くの登場人物が亡くなるドラマでしたが「人は死んでも終わりではない」というメッセージを発していたドラマだったと思います。
ヒロイン・糸子の亡くなったお父さんが幽霊になって出てきますし。
何よりこのメッセージを端的に表していると思ったのが、最終回の「おはようございます、死にました」というヒロインのナレーション。
「人は死んでも終わりではない」が見事に結実していた。
個人的にも本当に大好きな作品です。
(※3)ファッションデザイナーとして知られるコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの3姉妹を育て上げ、晩年になって自らもブランドを立ち上げ活躍した小篠綾子をモデルにした物語。2011年10月~2012年3月に、NHK総合テレビとBSプレミアムで放映された。ヒロイン・糸子を尾野真千子、糸子の晩年を夏木マリが演じている。
――東日本大震災のあと、幽霊の登場するドラマが増えたのはどうしてだと考えられますか? 不幸な事故があって、故人とつながっていたいと考える人々が現れたことと関係しているのでしょうか?
そうだと思います。
テレビドラマは私たちの日常と密接に関わっているメディア。
志のあるつくり手は視聴者の大きな心情の変化に敏感で、そうした思いを汲んでくれたのではないでしょうか。
そんなテレビドラマの可能性を、演劇博物館から発信したいと考えました。
不条理劇の “分からなさ” に惹かれ、研究者の道へ
――次に岡室先生のキャリアについて教えてください。学生時代から演劇に携わっていらっしゃったんですか?
やっぱりテレビドラマの話になるんですけどね(笑)。
子どもの時からドラマを観るのが好きで、特に俳優さんに興味があって。
高校生の時には演劇部へ入りました。
それである日、担任の先生のご自宅へみんなで遊びに行ったら……。
三一書房から出ていた『現代日本戯曲大系』っていう、何巻もあるような戯曲集が目について。
「どなたの戯曲がおもしろいですか?」って聞いたら、その先生が「別役実と清水邦夫」って言うんです。
その時に別役実の存在を初めて知って、図書館で読んでみました。
『マッチ売りの少女』(※4)って作品を読んだんですけど……意味が分からないんですよ。
(※4)初演は1966年。とある老夫婦のもとを尋ねた女は、かつて街角でマッチを売っては火の灯っている間、見知らぬ男にスカートの中を覗かせていた。女は「そうするよう教えたのはお父さん、あなたですね」と老夫婦に迫るも、彼らには全く身に覚えがない。やがて女は弟や子どもを家庭に招き入れ、老夫婦の日常に深く分け入ろうとする。
――意味が分からないのに、惹かれた?
それまで接したことのなかったような話で……。
うまく言語化できないんだけど深い感じがして、不思議な魅力を感じたんですね。
言葉が独特でキレイなことにも惹かれて、どんどん読むようになりました。
――高校の演劇部では何をされていたんでしょうか? 役者、演出家、スタッフとさまざまな役割がありますが。
高校の頃は、みんな役者として出たいから演出したい人がいないんですよ。
だから「しょうがないなぁ」って言いながら、別役さんの『マッチ売りの少女』を演出しました(笑)。
――最初に出会った別役さんの『マッチ売りの少女』を演出されたんですね! でも幼少期から俳優に興味があったわけですから、ご自身の中には演じてみたい気持ちもあったのでは?
演劇好きの人って、「自分が舞台に立って演じてみたら」という気持ちを抱えていると思うんですね。
そんな欲望もあったんですけど、とにかく誰かが演出しなければならないので。
――なるほど。その後、俳優として活躍される機会はありました?
役者はねぇ……役をいただくところまではすごく上手なんです、わたし。
大学時代は学生演劇の主役も演じたんですよ。
そこまではうまいんですけど、まぁ下手で才能なくて(笑)。
自分ではできていると思っているんですけど、実は全然できてないということに気がついたんです。
でね、演劇の研究者ってけっこう役者崩れが多いんですよ。
――そうなんですか?
そうそう。
役者の才能はないけど「演劇に携わっていたい」と研究者になった人がけっこういてね。
――役者でなくても演劇まわりの仕事っていろいろあると思うんです。脚本に演出に、舞台環境を整えるスタッフ業に。なぜ研究者の道にシフトチェンジされたんでしょう?
もともとの性格がすごく理屈っぽいんですよね、わたし。
『逃げるは恥だが役に立つ』(※5)でいうところの、小賢しいみくりみたいなところがあって(笑)。
(※5)契約結婚の道を選んだ男女と、彼らを取り巻く人々が繰り広げる “社会派ラブコメディ”。新垣結衣演じるヒロイン・森山みくりは、学生時代の恋人に対して批評や分析的なコメントを繰り返し、「お前、小賢しいんだよ」と言われてフラれ、コンプレックスを抱えるようになった経緯がある。
――小賢しさフィールド全開だったんですね(笑)。
そうそう(笑)。
物事を分析的に見るのが好きなんですね。
だから創作よりも研究の方が向いてるかな……と。
――研究の道に進まれてからは、アイルランドで生まれ育ってフランスで活躍した劇作家であるサミュエル・ベケットをご専門とされています。
別役さんが書かれたものを読んでいると、ベケットの名前がたくさん出てくるんですね。
彼がベケットから影響を受けたことがわかって、それで読み始めたんですけど。
あのね、ベケットは別役さんよりもっと分からないの。
その “分からない” が、自分がバカだから “分からない” のか、分からないように書かれているから “分からない” のかも、分からなくて(笑)。
「何だろう、この分からなさは?」と思う一方で、感動したのがすごく不思議だったんですね。
――インパクトの強かった作品は何ですか?
いちばん最初に読んだ『しあわせな日々』(※6)という作品です。
女の人がどんどん土の中へ埋まっていく話でして。
その理由はまったく分からないし、劇中で語られることもありません。
彼女は埋まりながらも、とにかく明るく喋り続けている。
それだけで泣けるんです。
(※6)野原の真ん中で、腰まで埋まった女性を主人公とした物語。2幕では喉元まで地中に埋まりながら、ひたすらモノローグを繰り広げているところに女性の夫が登場。夫に名前を呼ばれ、彼女は「しあわせな日々」とつぶやく。
――説明をお聞きしても……分からないですね!
当時は “分からない” ものが大切にされた時代だった気がするんですね。
でも今はわりと分かりやすいものに人気が集まるじゃないですか。
――あ、だから『ゴドーを待ちながら』の新訳本を出されたんですか?
新訳はかなり分かりやすくなっていますが、狙いは別のところにあります。
『ゴドー』って実はものすごく具体的で身体的な作品なんですね。
でも “不条理” のイメージが独り歩きしちゃって、ワケが分からないと思われすぎているんです。
なので「そうじゃないよ」っていうことを言いたくて。
まぁ不条理劇ですから意味のないことは起こるし、待てど暮らせどゴドーさんは来ないんだけど。
でもセリフはすごく具体的だし、身体的な作品だということをアピールしたかったんです。
――作品に込められたものを的確にすくって享受できる、リテラシーの高い受け手を生み出せたらよいですね。
数多くの作品に深く触れた、よい “つくり手” と “受け手” を輩出したい
――岡室先生のもとには、どのようなテーマに関心を持った学生さんが集まっていらっしゃいますか?
私のゼミは「幻影論ゼミ」といって、さまざまなジャンルの作品の分析をしているんですね。
テレビドラマをはじめ、映画・演劇・小説・アニメなど幅広く作品を取り扱っています。
学生には「何かをつくりたい」という思いを抱えた人が多いですね。
中でもテレビ局に就職したい学生がけっこういて、毎年何人か輩出しています。
文化構想学部の表象・メディア論系の学生全体に見られる傾向と似ているかもしれない。
――“つくり手” を輩出する側面から考えて、学生さんと接する上で心がけていることはありますか?
「とにかくたくさん、かつ深く作品に触れるように」と指導しています。
学生には、いい作品を発信したり受信したりできるアンテナを磨いてほしいと考えておりまして。
テレビ局への就職が叶って、いざものづくりの現場に立てたとします。
その時に「これなら視聴率が稼げるだろう」って考えだけで、ものづくりをしない人を育てたいと思っていて。
つくり手として、高い志をもって現場に行ける人を育てたいです。
あるいは作品を受け取るだけの立場でも「いいものをいい」と感じられる人になってほしい。
――良し悪しの判断力を養うために作品を数多く観ることが大切なのは何となく想像がつきます。一方の「深く」というのはどういうことですか?
テレビドラマを例にお話しすると、たいがいの作品は一度しか触れる機会がないですよね。
DVDボックスを買って繰り返し鑑賞する場合もありますけど、よほど好きな作品に限られると思うんです。
だけど、ひとつの作品にはものすごく膨大な情報が詰め込まれている。
一度観ただけだと、ほとんどの情報を取りこぼしてしまうんです。
そこでゼミや演習では何度も観て議論して、作品に込められたメッセージをすくい取る作業をしています。
上から目線で評価するのではなく、「できるだけ豊かに作品を受け取りましょう」というのが暗黙のルール。
すると「一度しか観なかった時は気づけなかったけど、この作品ってこんなに深かったんだ!」という気づきが学生の中に生まれる。
繰り返しの鑑賞を通じて味わうことで、つくり手の “魂” に触れていくことができると思います。
――作品を深く読み解いたことで、思わぬ発見があったテレビドラマはありますか?
ほとんどの作品で新たな気づきがありますよ。
いま開講しているテレビ文化論の演習では、視聴率は低いけれど高評価を受けたドラマを考察していまして。
この前は、坂本裕二さんが脚本を手がけられた『anone』(※7)を題材に取り上げました。
(※7)2018年1~3月に日本テレビ系で放映された。孤児院育ちの少女(広瀬すず)は、亡き夫の残した印刷所で暮らす女性(田中裕子)、死に場所を探す女性(小林聡美)、余命わずかな男性(阿部サダヲ)と出会い、奇妙な共同生活を始める。それぞれの思惑から手を染めた偽札づくりをめぐって、揺れ動く人間模様が描かれた。
――『anone』は私も拝見していて。繰り返しの鑑賞に耐えうるというか、それが “必要な” 作品に思えます。
いま、私たちの社会は二元論でできていて。
常に白か黒か、善か悪か、男か女か……みたいに分かれています。
でも『anone』はこうした二元論で描かれた世界ではなくて。
グレーゾーンみたいな、白黒つけることのできないグラデーションの中に豊かさがあるということを教えてくれたと思うんですよね。
――実子に拒絶された女性たちが形づくる疑似家族に、偽札づくりに。広大なグレーゾーンの中で登場人物が右往左往していました。
ニセモノにもかかわらず、本物より家族らしかったですよね。
あと「きみはイヌ派? ネコ派?」と聞かれて、「カワウソ派」って答える場面もそうですし。
ささやかな日常を切り取るセリフひとつとっても “グレーゾーン” が横たわっていて、そんな空気がドラマ全体を象徴している。
そんなことを、作品研究に取り組んだ学生たちがたどり着いてくれるわけです。
――テレビドラマを題材にしてよいつくり手や受け手を育成することも、演劇文化の “裾野” を広げる一助になりそうですね。
テレビドラマは日常的なコンテンツであるだけに、優れた作品は心に訴えかけてくるものがあります。
いま “若者のテレビ離れ” が叫ばれていますけど、実際のデータではそうなっていないんですよ。
ドラマに関するSNSの盛り上がりを見れば、影響力も絶大だと思うんです。
――『あまちゃん』『逃げ恥』『カルテット』しかり、ほとんど社会現象でしたよね。
特に『逃げ恥』は “多様性” のドラマだったんじゃないか、と考えています。
元カレから「小賢しい」といわれたことがコンプレックスの、今までヒロインにならなかったタイプの女の子が恋をして結婚する。
でもこれまでのラブコメディと異なっていたのは、すべてを恋愛に流し込んでいかなかったところです。
プロポーズされても、ヒロインは「賃金なしで家事をさせられてしまう」と受け取って立ち止まる。
「好きだからいいじゃない」ってところに持っていかなかったところが、優れてました。
――人の善意や愛情につけ込む “好きの搾取” ですね?
そうそう!
ヒロインの小賢しさが炸裂したシーンでしたよね。
他にもゲイのカップル(古田新太×成田凌)ができたり、17歳の年の差カップル(石田ゆり子×大谷亮平)が生まれたりしたことも多様性を表していて。
いろんな形で、私たちの凝りかたまった考えを解きほぐしてくれたドラマだったと思うんです。
そんな新しい価値観を提案してくれて、社会を変える引き金になるような作品が増えたらいいですよね。
こうした作品のつくり手や優れた受け手を、私が関わった学生から輩出できたらと考えています。
――時間を巻き戻すことができたら早稲田に入学し直し、岡室先生の率いる幻影論ゼミの門を叩きたいと思うほど楽しいお話でした。どうもありがとうございました!
取材・文・撮影 / 岡山朋代