夢はリゾート地の経営、世界一周! 望む将来を実現するためにTFM小栁津氏が立てている人生設計

- 小栁津 競介(おやいづ きょうすけ)
- 株式会社TFM 取締役社長 兼 CEO
1980年生まれ、静岡県出身。2003年に大学卒業後、大手コンサルティング会社に勤務。5年間、飲食店や小売店、中小企業のコンサルティング業務に従事。飲食店のチェーン店立ち上げも経験し、事業統括として8か月間で1店舗から27店舗に拡大。2008年株式会社TFM入社。店舗の課題を解決し業績をV字回復させ、8期連続で増益を達成させる。現在、肉に特化した飲食店を10店舗経営。2017年10月中旬には、ニューヨーク・マンハッタンで人気のステーキハウス「エンパイアステーキハウス」国外初進出店かつ日本初上陸店となる「Empire Steak House(エンパイア ステーキ ハウス) 六本木」をオープン予定。
<株式会社TFM>
創業/1946年1月10日
本社/静岡県藤枝市田沼1-18-2 土屋ビル 最寄り駅/藤枝
東京オフィス/東京都渋谷区恵比寿西2-2-8 えびす第2ビル5F 最寄り駅/恵比寿
※本文内の対象者の役職はすべて取材当時のものとなります。
ステーキやグリル、肉に特化した飲食店を経営。そこに至るまでの経緯とは?

―小栁津さんの今の業務について教えてください。
現在、株式会社TFMでは、ステーキなど肉に特化した飲食店「BeefGarden(ビーフガーデン)」、「肉バル Salt(ソルト)」、「大衆肉バル Kamiichi(カミイチ)」など10店舗を経営しています。
私は社長として会社の経営、事業開発、店舗マネジメント、物件開発や食材調達などを行っています。
―小栁津さんがTFMに入社されたころ、会社はどのような状況でしたか?
私が2008年に入社した当時、フランチャイズ飲食店を5店舗経営しておりましたが、トータルで赤字という状況でした。まずは半年から1年かけてすべて立て直しを図りました。
全店が黒字化した2009年春ごろに、何か新規事業がやりたいと思うようになり、2009年9月に初のオリジナル業態「BeefGarden」をオープン致しました。
―最初から肉に特化した飲食店事業を展開しようと思っていたのですか?
それが、最初から肉に特化した事業を目的にしていたわけではなかったんです(笑)。たまたま偶然がいくつも重なって。
ある時に知人から、好条件の焼肉店の居抜き物件の紹介があったり、宮崎の黒毛和牛生産者から一頭買いができるという紹介があったり。
そのタイミングで、前職で焼肉店の立ち上げを一緒にやった当時のチームメンバーと再会したりと、これらの出来事が1か月くらいの間で起こりまして、気づいたら3か月後に二子玉川に「BeefGarden」をオープンしていました。
―そのあと、着々と店舗が増えていますよね。
そうですね。2009年に「BeefGarden@二子玉川」がオープンしてから、2011年に「BeefGarden@目黒」、2012年「黒壱@千川」と続き、2014年「Salt@中目黒」、2015年「Kamiichi@上大岡」、2016年「BeefGarden@恵比寿」と「Salt@恵比寿」がオープンしています。
27歳で独立、45歳で引退……学生時代に描いた人生設計に向かって、歩んでいく

―小栁津さんにとって、仕事のやりがいは何ですか?
実は、あまり “仕事自体のやりがい” って考えたことがないんですよ(笑)。
仕事は、人生の目標達成のために行っているものという捉え方をしていて、今はその過程なんだと思っています。
―なるほど、きちんと人生設計をされているのですね。では、そのように設計するようになったきっかけがあれば教えてください。
21歳のころ、大学の夏休みなどを使ってバックパッカーをしていたんです。当時は特にやりたいことはなかったのですが、「もっといろんな世界を見てみたい」という気持ちがありました。
漠然と、経営者になりたい、大好きな映画の仕事がしたい、映画に出てくるようなレストランをやってみたい、という想いもありました。でも「旅ももっとしたい!」という気持ちもありました。
就職活動が迫るなかで、就職するか、しないか、非常に悩みました。そんな時、 “新卒” として働ける経験って今だけなのでは、と思ったんです。
そこで、少し目標を変更して、大学を卒業したら新卒として企業勤めをしようと決めました。新卒で実践を積んで、27歳で退職、その後世界中を一人旅して、その経験を活かして帰国後に起業。45歳で引退……。
今思うと青臭いですが、当時はそのような人生設計にしたんです。
―新卒で入社したコンサルティング会社ではどのような経験を積まれましたか?
金融機関や中小企業のコンサルティングをメインとする会社でした。最初の配属は飲食店のコンサルティング、その後は小売業のコンサルティング、飲食チェーンの立ち上げなどを担当しました。
社会人としての経験を一から積んだ場であり、様々な勉強をさせていただいた場です。
何より「仕事って楽しいものなんだ」という価値観を身につけさせていただきました。
―退職後、一人旅はされたのですか?
当初の目標通り、入社して5年が経った27歳で退職しました。そのあと、まず世界一周をして、帰国後に独立する計画だったのですが、叔父が経営していた株式会社TFMとの縁があって……。
前職で私が経営支援をしていた中小企業とTFMが重なったんです。見て見ぬふりができないという気持ちもありましたし、「だったら、この会社のなかで自分がやりたいことをすればいいのでは!」と発想が変わり、TFMの事業を引き継ぐことを決めました。
世界一周の旅は諦めましたが、代わりに3か月間10か国の旅をしてから、入社しましたね。
ニューヨークで人気の「エンパイアステーキハウス」、日本初上陸に向けて

―今までの仕事で苦労したことや大変だったことは何ですか?
今が一番大変ですね(笑)。10月中旬に、ニューヨーク・マンハッタンで人気のステーキハウス「エンパイアステーキハウス」の国外初進出店、日本初上陸店を六本木にオープンさせるんですが、今までやってきたような業態開発やオープン準備とは全く異なり一つひとつが全て新しいことの連続で。日々壁にぶつかっては解決し、その繰り返しですね。
―もともと、どのような経緯で御社が行うことになったのですか?
初めてお会いした方との全く異なる商談の中で、たまたま雑談から始まった話でした。
その方が「エンパイアステーキハウス」のオーナーと知り合いで、彼らが日本でのパートナーを探しているという話になったんです。うちが肉に特化した店舗展開をしていることと、私が前職でフランチャイズやライセンスなどの飲食展開に関わっていたということもあって。
もともと、私のなかで、「いつか海外のブランドを日本に持ってきたい」という目標を持っていました。お話をうかがって「これは!」と直感し、すぐに翌月ニューヨークに行きました。ただ単純に「ニューヨークに行きたい」って気持ちもありましたが(笑)。
―なぜ、海外初進出が日本だったのでしょうか?
オーナーが日本をとても好きでいらして、アメリカ国外の1号店は東京と決めていたそうです。もともと彼は移民で、アメリカンドリームを夢見て、約25年前に単身アメリカに来たそうです。そんな彼は、日本にとても憧れと尊敬の念を抱いていたそうです。とっても嬉しいですね。
目標に向かって何をするか。それを実践していた学生生活

―小栁津さんは学生時代、どのようなことに興味を持っていましたか?
高校生の時に、友人から借りた沢木耕太郎の紀行小説『深夜特急』を読んで、旅に興味を持ちました。
大学に入ってからは、アルバイトでお金を貯めては、毎年1か月くらい旅をしていました。
―実際に旅をしていて、印象に残っている出来事などはありますか?
バックパッカーをしていた2001年、ロサンゼルス滞在中に「9.11」(アメリカ同時多発テロ事件)が起こりました。ロサンゼルスの空港もパニックになっていて、3日間帰れない経験をしました。
日本にいたら経験できない状況に遭遇しましたし、現地の様子は今でも印象に残っています。
―ちなみに、学生時代はどのようなアルバイトをされていましたか?
宅配便の仕分け作業や、イベント会場の設営、スキー場などリゾート地でのアルバイトなどをしていました。
バックパッカー以外に、スキーにも熱中していましたね。お金のかかるスポーツなので、ひたすらバイトをしていましたね。
やりたいことのために働く、目標のためにがんばる……という自分のポリシーは、学生時代から変わっていませんね。
―では、就職活動はいかがでしたか?
映画が好きだったので、映画に関する広告宣伝やマーケティングに興味がありました。
映画関係の広告会社か代理店に行きたかったんですが、実は、その時期にスキーで顔面骨折をしてしまって。就職活動らしいことがほとんどできなかったんです。そのため、タイミングを逃してしまいました。
そんな時、就職サイトでたまたま前職の会社を見つけました。そこにあった「企業家輩出機関。5年で独立せよ!」というキャッチフレーズが目に留まったんです。
―どのような採用試験でしたか?
グループディスカッションがとても活発に行われていました。自分としては、他社のグループディスカッションでは手ごたえを感じていましたし、それなりの結果を出せていたので自信がありました。しかしそこに集まった学生たちはみんな貪欲で、いずれ起業をしたいと夢を持った人たちばかりした。一緒にグループディスカッションをしていて、とても刺激を受けたんです。
自分もこういう仲間と一緒に仕事がしたいと思って迷わず入社を決めました。
“想い” があって “行動” がある。自分の夢を叶えるために仕事をしてほしい

―現在、小栁津さんが仕事をするうえで大切にしていることは何ですか?
仕事は自分がやりたいことを実現するために行うものだ、ということですね。
自分が何をして生きていきたいか、自分がやりたいことや興味のあることに向かって欲張りであっていいと思っています。
―小栁津さんの将来のビジョンは何ですか?
いずれは、海外を拠点に過ごしたいですね。例えば、アジア圏の暖かい海のあるような所とか(笑)。
―では、会社に対してどのようなビジョンを持っていますか?
2020年までには20店舗に増やしたいと考えています。海外進出、リゾート業も視野に入れています。
今は飲食店の業態ですが、働く社員の年齢も勤続年数とともに上がってきます。社員が50歳になった時、今と同じように身体が動くなら飲食店での接客業務を続ける選択肢もあるでしょうし、またはこれらの仕事を若手に任せてホテルの宿泊担当など、ほかの仕事の選択肢があっていいと思うので、社員の年齢に合った “働く現場” を作りたいと考えています。
―ちなみに、御社ではどのような方と一緒に働きたいと思っていますか?
未熟でも未経験でもいいので、想いのある人と一緒に働きたいですね。特に“信頼”は重要視しています。
嘘やごまかしは信頼を損なう行為なので、絶対にやってはダメ。失敗したとしても、素直に謝ったり現状報告をして、次にがんばればいい。
接客業も仕事も、信頼の積み重ねによって人づきあいが広がり、お客様や様々な方との出会いに広がっていきます。その点を皆さんにも大事にして、将来の目標に向かってがんばってほしいと思います!
―最後に、これから社会に出る若い世代にメッセージをいただけますか?
若い世代は、夢見がちでいいと思います。そして、その夢を言葉に出して、行動し続けることが大事です。“想い” があって “行動” がある……と自分の経験上、考えています。
仕事をしていれば、つらいことやキツイこと、悔しい思いをすることくらいしょうちゅうあるし、何度も折れそうになるものですが、それ以上に楽しいものでもあると思います。
社会人になることを恐れず、常に自分の目標を持って、いい意味で欲深い気持ちと共に社会人になってほしい。社会人は学生のころにイメージするような嫌なことばかりじゃないですから。
<株式会社TFM>本社
〒426-0061 静岡県藤枝市田沼1-18-2 土屋ビル4F
JR藤枝駅より徒歩約4分
東京オフィス
〒150-0021 東京都渋谷区恵比寿西2-2-8 えびす第2ビル5F
JR、または東京メトロ日比谷線恵比寿駅より徒歩約4分
<肉バル Salt(取材場所)>
〒150-0022 東京都渋谷区恵比寿南1-3-2 エルスタンザ恵比寿B1F
JR、または東京メトロ日比谷線恵比寿駅より徒歩約4分
[取材・執筆・構成]
yukiko(ユキコ/色彩総合プロデュース「スタイル プロモーション」代表)
[撮影(インタビュー写真)・編集]
真田明日美