バイト・仕事を楽しむキャリアマガジン

バイト・アルバイトはおすすめディスカバイト > 東京都 > 渋谷区 > 渋谷駅のバイト > イセオサム

ユーザーが楽しめるサービスを目指して
―「面白い」を仕事にするイセオサムの挑戦―

株式会社ハロ イセオサム
イセ オサム
株式会社ハロ/ HALO Inc. 取締役COO

1983年東京都出身、2003年慶應義塾大学在学時に有限会社NSSを起業。モバイルメールQ&Aサービス「くちコミネット」をリリース。2005年日本テレビ放送網株式会社へ入社し、ズームインスーパーへ配属されADとして業務に関わる。2006年株式会社オプトへ入社、モバイル&メディア部の責任者として広告代理事業に従事。2008年株式会社ハロを設立、取締役に就任し現在に至る。2013年にプレイ株式会社を設立、同じくボケてを運営する株式会社オモロキ取締役に就任。

アルバイトより先に商売を始めた学生時代

―高校時代から自分達でビジネスを始めたとお聞きしましたが、本当ですか?-

そうですね、中学時代にバス釣りを始め、高校時代は「プロになろう!」と、本気で考えていました。1匹でも多く釣るため、ルアーも自分達で使うように自作をしていたんです。高校生になってアルバイトを探そうと思った時も「時給1,000円なら、自分でルアーを作った方が稼げるんじゃないか!?」と思い、友人と2人でルアーの販売を始めたのがきっかけです。当然ですが、パッケージや値段も全て自分達で作りました。

販売方法は、とても地道なやり方です。親交のあった釣り具屋へ行き「これ、置いてくれませんか?」とお願いして売り場を作るという、委託販売形式ですね。たまに30個なんて大量の発注がきたりして、学校の休み時間にせっせとルアーを作った時もありました(笑)商品を売るためには値段や販売チャネルといったマーケティングをしっかりと行う必要があるということをこの時初めて知りました。「商売をするのって大変」と思わず「こうやって売れるのか、面白い!」と感じたのが商売人のスタートだったのではないかと思います。若い頃から商売が好きだったんでしょうね。

―大学時代はどのような仕事をされていたのですか?―

大学に入ってからは普通のアルバイトも経験しました。家庭教師もやりましたし、音楽が好きだったので、派遣会社に登録をしてコンサートスタッフの仕事も経験しました。しかし、やはり高校の時に感じたワクワク感は少ないように思いました。「何か物足りない…やっぱり自分達で何かしたい!」そう思い、大学3年の時に友人に誘われたのがきっかけで共同で会社を起業し、モバイルサービスの運営と制作を行いました。さらに、それだけでは飽き足らず、知人の紹介で飲食コンサルタントの仕事にも手を広げました。飲食コンサルタントでは、代官山アドレスにあるアイスクリーム屋の内装や外装、メニュー決めを行っていました。人手が足りない時は僕も接客していましたね。「人はどういう時に購入を決めるのか、何に惹かれたのか」という購入の決め手となる部分を考えることがとても興味深かったです。薬局やスーパーの底値を調べることが好きでしたし、学生の頃から起業やマーケティングといった分野へ特に興味を持っていたのだと思います。今考えれば、少し変わった大学生だったと思いますよ(笑)

ドラマ制作に憧れ入社した日本テレビ時代

お仕事中の株式会社ハロイセオサム取締役

―学生時代に起業までされたイセさんがどうして日本テレビに就職をされたのですか?―

実は大学に入学した時に演劇サークルに入っていまして、役者の楽しさにも魅せられていました。役者として本腰を入れて取り組んでいたこともあります。そのため、テレビのドラマ制作には興味をもっていました。「テレビ制作をやりたい!」という漠然とした興味を持っていたので、日本テレビの就職試験を受けました。倍率が高いことは知っていましたが、記念受験者が多いということも聞いていましたので、軽い気持ちで受けた…というのが本音です。

しかし、入社後配属となったのは、朝の報道番組「ズームインスーパー」でした。その番組のAD(アシスタントディレクター)として番組制作に関わりました。取材もしますし、着ぐるみの中に入ってテレビに出ていたこともあります。とにかく、番組に関わることなら何でもやっていました。毎朝夜中の2時に出勤し、5時半から8時までは番組のOA、終わったら反省会と軽く食事を済ませて、朝の10時ぐらいになると、今度は次の日の番組製作に入ります。自宅には3日に1回帰るペースでしたので、体力的にはとてもハードな仕事でしたね。

モバイルの可能性に気付いたオプト時代

―その後日本テレビからオプトへ転職されたのはどうして?―

日本テレビから転職をしようと思った理由は主に2つあります。1つは、やはりやりたいドラマ制作ではなかったということです。このまま報道の現場でしばらく経験を積み、その後も異動を続けていけば、10年後には希望のドラマ制作へいくことができたかも知れません。しかし、それが保証されているわけではありません。「もしかしたら一生ドラマに関わることはできないかも知れない、その時はどうすればいいんだ…」と、悩みを抱えていました。さらに、日本テレビへ入社をした1年目の2006年頭には、ある大きな事件が起きた年でした。プロ野球の買収話や選挙への出馬など、世間の話題を集めていた株式会社ライブドアの堀江社長が証券取引法違反で逮捕されたことです。当時報道の現場にいたこともあり、私も取材に行くことがよくありましたが、過熱していく取材合戦がどうしても性に合わず「やはり自分がやりたいことをしたい!」と、退職を決意しました。

そんな時、元々大学の先輩であり先にオプトへ入社をしていた現在ハロの代表取締役を務めている矢野から「オプトへ来ないか?」と入社の誘いを受けました。矢野とは学生の頃から親交がありましたし、何より「これからはネットだろ!」という矢野の意見には私自身大いに賛同していたのでそのまま入社を決めました。

―当時の仕事内容を教えてもらえますか?―

モバイル&メディア部で広告代理事業を行っていました。入社時から「モバイルをやります!」とは口にしていたので、希望を聞いていただきました。最初はクライアントへの広告プロモーションの企画営業や広告枠の仕入れなど、様々な業務を担当していましたが、徐々に仕入れをメインに行うようになりました。その後も業務領域はあまり考えず、幅広い業務を経験し、最終的にはモバイル&メディア部の責任者になりました。できれば動画を使ったサービスも作りたかったのですが、当時はまだモバイル市場でも動画を使ったものは時期尚早の感もあり、そちらは具体的に動くことはありませんでした。

ハロ起業までの道のり

ボケてのキャラクターと一緒に写るイセ氏

―オプト在籍からハロ起業に至るまでのお話を聞かせていただけますか?―

日本テレビを辞める時からベンチャーで起業することは考えていました。しかしビジネススキルがほとんど身についていなかったので、必要なスキルを取得するという目的でオプトへ入社したという背景がすごく大きいです。そのため「3年くらいで起業をしますけどいいですか?」と面接の時からオプトの上司には伝えていました。時間が限られていましたので「この半年間はこの業務をやり、次の半年間はこれを覚える…」といったように、起業に必要なスキルを決めた上でスケジュールを組み立てていました。

実はオプトには社内で新規事業立ち上げのためにコンペが開催されていまして、「社内ベンチャーでも新しい事業ができればいいかな…」と思った時期もあったんです。実際に事業部のコンテストに応募し通ったこともあります。しかし、その後は大きな動きがあまりなかったのです。「やはり、ある程度の組織で働くより、小規模な人数で仕事を進めた方が早くサービスを実用化できるんじゃないか?」そう痛感し、自分で全てを決定できる独立という方向が決まりました。それさえ決まってしまえば後は動くだけなので、現在の創業メンバー達と起業の準備を進めました。

今だから言えるのですが、独立する1年ほど前から仲間達と毎週集まり、様々なビジネスモデルのアイディアを出しあっていたのですが、どれもピンときませんでした。しかし、「1年以内には起業しよう!」というリミットは決めていたので、まずは自分達が得意な広告代理事業を中心とした会社として設立しました。先に箱だけ作ったと言った方が近いですね。その後も代理店事業を行う傍らで色々と作っていましたが、広告代理事業以外では3年弱全く売上を立てることができませんでした。後に「アドラッテ」が世に出るまではとても苦しい日々が続きました。

―大きくヒットをしたコンテンツはやはり「アドラッテ」ですか?―

そうですね。最初はソーシャルメディアのツールを作ったりしていましたが、当たることはありませんでした。そんな中で初めてヒットしたのが韓国の企業と合弁事業として制作をした「アドラッテ」です。実は、当時優秀な人材を求めて韓国へ行き3人ほど新卒で採用をしたのです。これがきっかけで、韓国にも面白いベンチャー企業が沢山あることを知りました。「韓国と事業をしたら面白いかも知れない…」そう思い、約10社ほどの韓国のベンチャー企業と会うことにしたのです。その中にたまたまなのですが、とても気の合う会社が1社だけありまして、その会社が運営をしていたのが「アドラッテ」の韓国版サービスです。

「アドラッテ」は、CMを視聴し、クイズに答えることでポイントを貯めるアプリです。貯めたポイントは、iTunesギフトカードやAmazonギフトカードと交換できる仕組みです。このようなサービスは、当時ガラケーではありましたが、スマホではほとんどなかったので、とても話題となり一気に150万人にまでユーザーを増やすことができました。しかし、急激に成長したサービスでしたし、契約面の詰めが甘かったこともあり、結果的に国内の某大手SNSに目を付けられ、サービスごと持っていかれた感じです。日本国内での契約をしっかりと縛っていなかったことが失敗でした。最終的には変則的な事業売却になったのですが、「今だったらもっとうまくできるな…」と、反面教師にすべきビジネスの1つでもあります。

しかし、「アドラッテ」での成功体験もあり、その後はメディア事業に特化した方が良いと考えるようになりました。そして広告代理事業を思い切って打ち切り、制作側の人を増強し新しいアプリを次々と作ることにしたのです。現在のハロにおけるビジネススタイルが確立するきっかけとなりました。

「ボケて」誕生の裏側

ボケてサービス画像

―その後ヒットとなったのが「ボケて」ですが、どのようなサービスなのですか?―

「アドラッテ」を運営する傍らで制作を進めていたのが「ボケて」のアプリです。もともと「ボケて」は、日本テレビ時代の同期である鎌田(株式会社オモロキ代表取締役)と、友人の和田(オモロキCTO)が5年前に立ちあげたWebサービスで、ちょうどその頃ブレイクしかかっていました。それを、「3秒で笑えるアプリ」をコンセプトにアプリ化しました。投稿された写真などの「お題」を元に、「ボケ」となる言葉を付けたして作品を完成させ、笑いを生み出すのが特徴です。作品を作るユーザーを「職人」と呼び、多く支持を受けたものは殿堂入りする仕組みとなっています。電車の中や待ち時間など短い時間でも楽しめる点がユーザーにウケ、毎日ランキングが更新されるので毎日アプリを立ち上げても楽しめるように作られています。

現在はDL数は350万を越えるまでに成長しました。誰でも使える、そして誰もが楽しめるメディアにしたいと思い制作をしていたので、スマホアプリではそれを再現できたと自負しています。

イセオサムが描く未来予想図とは?

にこやかにお話を楽しむイセオサム氏

―ハロが目指している目標があれば教えてください―

メディア事業としてアプリの制作、運営を続けていくことはもちろんですが、今年は海外にも進出しようと計画しています。最初はアジア圏の韓国や台湾でリリースを開始し、東南アジアに南下していきたいと思っています。もちろん英語圏でのサービスについても準備を進める予定です。収益性で考えれば現状は日本に勝る市場はないのですが、単純に「世界中に弊社のサービスを流行らせたい!」という想いが大きいです。しかし、海外の市場にも必ずチャンスはくると思っていて、そのチャンスを逃さないことが最も大事なことなのではないかと考えています。チャンスがいつ来るのかなんて誰にも分からないので、できることはただ一つ、タイミングを逃すことがないよう万全の準備を行い、チャンスボールが飛んできた時には確実に打ち返すこと。

日本での目標としては、とにかく安定した運営を行っていくことですね。アプリを量産するのは限界がありますので、ある程度の規模まではしっかりと計画を立てて育てたいと思っています。それが弊社の資産にもなりますので、今後成長するためにも新たな事業の起ち上げを考えた時にも安定した収益を確保できるアプリを増やしていけたらと思っています。

―では、イセさん自身は将来についてどのように考えているのですか?―

最近、秋元康さんがすごく気になる存在になっているんです。あの人の仕事ってかなり幅広いじゃないですか。作詞もやるし、プロデューサーもやるし…かと思ったら映画まで撮るし、テレビにも出演している。マルチに活躍をしていて、なおかつ一定の成果も出している人ですよね。僕自身マルチ思考がすごく強いので、そういった人になりたいなと思っています。もっと大きく言えば、レオナルド・ダ・ヴィンチのような、そういう人を目指していきたいと思います。そのためには、まだ誰もやったことがないことを出来たら面白いんじゃないかなと。自分で先のことが予想できてしまうとつまらないですしね。

そして、現在2つの企業(株式会社オモロキ、株式会社ハロ)で取締役を、そしてプレイ株式会社では代表取締役を務めていますが、それぞれの特性を活かしながら新たなことにも積極的にチャレンジしていくことが理想ですね。メディアの種類にはこだわりがないので、その時代に応じて、ユーザーに最も近いメディアでサービスを提供できたらいいと思っています。とにかく、楽しいエンターテイメント性の高いものをユーザーに提供していきたいです。「これはユーザーにも楽しんでもらえる!」と思えば、もしかしたら領域を広げてドラマや映画の制作を始めてしまうかも知れませんし、また別の業種でサービスを作るかも知れません。

こうした話をすると何でもかんでも手を出すみたいに思われそうですが、僕の事業で最も土台となる部分は「面白い」「楽しい」「エンターテイメント」という部分なんです。それを作るためならばジャンルや領域には全くこだわりません。もちろん半端なものを作るのではなく、ユーザーに満足してもらえる一流のものを作ることは決して妥協しません。「ゼネラリストだけども全てにおいてスペシャリスト」矛盾しているかも知れませんが、そんなビジネスマンになるのが当面の目標ですね。

[取材/執筆/編集] 高橋秀明、白井美紗

あわせて読みたい

Career Grooveとは?

「Career Groove(キャリアグルーヴ)」は、様々な業界で活躍している起業家や著名人が語る、バイト・仕事のやりがいや働く楽しさを一人でも多くの人へ伝えるというミッションを持ったウェブマガジンです。

新着記事

Access Ranking

人気のタグ

タグ一覧へ

Social Account