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渋谷駅のバイト関連情報(渋谷の歴史や発展について)

渋谷の由来、歴史について

 山手線の主要駅の一つである渋谷はアルバイト先としても人気で非常に多くの求人が出ることでも知られています。駅前には東急百貨店や西武百貨店が並び、道玄坂、宇田川町といった街の名前も広く知られ、特に若者が多く集まる東京を代表する繁華街の一つです。

 江戸時代の渋谷駅周辺は大山街道沿いの集落として栄えた場所でした。渋谷という土地が活気づいたのは明治以降であり、明治18年に山手線が開通したことが転機となりました。当時は今のようにぐるり囲まれ多路線ではなく、駅も3駅しかなかったのです。他の2駅は建物も多く、すでに賑わいのある街として知られていましたが、当時の渋谷は建物がほとんどない大変静かな場所であったと言われています。その後東京市電、玉川電鉄(現在の田園都市線)など、現在乗り入れている鉄道会社が次々と路線を開通させました。当時の渋谷駅は木造の平屋建て、今の巨大なダンジョンと化した渋谷駅の姿からは想像もできない姿です。特に副都心や東横線のホームから地上まで上がるはあまりにも時間がかかるため「やばい!バイトに遅れそう!」と、急いで駆け上がった人もいらっしゃるでしょう。

 日本鉄道が国鉄化された1920年頃から、駅は現在の場所へ移転しました。二代目の建物もやはり木造建築……まだ100年も経っていないのにこの変わりようは驚愕する変化です。

渋谷の発展について

 日々新しい建物が建設され、進化を続ける街渋谷。渋谷でアルバイトや仕事をする人も増え、観光客も多く集まる場所にまで成長しました。これから5年後10年後30年後…年月を重ねるたびに新しい顔を見せてくれることでしょう。

 渋谷の転機となったのは、やはり山手線が開業されたことで、駅周辺の河川の整備が行われました。「渋谷」と言う名の通り、谷が多い地域だったのですが、「宇田川」や「渋谷川」と呼ばれる河川は降水量が増える度に氾濫を起こし洪水被害が生じていたのです。そのため、大正9年に現在の位置へ渋谷駅が移動したのを機に宇田川の一部を地下水路としました。宮下公園のガード下あたりで耳を澄ませると、今でも水の流れる音がすると言われています。バイトへ向かう途中に通り過ぎる時には是非立ち止まって聞いてみてください。その後も順次地下水路へとシフトしていきます。そうして、河川に蓋をした上に作ったのが現在のセンター街を中心とした宇田川町なのです。この都市計画が実行されていなければ、現在の渋谷の姿はなかったでしょう。

 また、いくつもの鉄道会社が路線を開通しました。中でも注目すべきは、東急東横線です。元々学校や求人も多い若者に人気な路線ではありましたが、開通した昭和9年は東急百貨店と併設したターミナルデパートとして話題になりました。渋谷を乗り換え駅に、銀座や上野へ買い物へ行く東急沿線在住の方が、東急百貨店ができたことで渋谷で買い物をするようになったのです。渋谷発展の原点となりました。求人掲載数でもトップクラスの人気を誇る渋谷駅は東急の街として歩き出し、多方面へと発展を続けているのです。

渋谷とモヤイ像の関係について

 「バイト終わったらモヤイ像で待ち合わせしよ?」「いいよー仕事終わったらLINEする!」そんな風に使われる、渋谷の待ち合わせスポットの一つが渋谷駅南口にある渋谷のモヤイ像です。

モヤイ像はイースター島にあるモアイ像と混同してしまいがちですが全くの別物です。イースター島のモアイ像をモデルとして、伊豆諸島新島村が作った名物なのです。新島村は抗火石(こうかせき)と言う珍しい石が産出します。抗火石はとても軽く、彫刻刀でも簡単に加工ができるという性質を持っています。この石を使って作られたオブジェがモヤイ像です。新島には「モヤイの丘」と名付けられた場所など、「モヤイ」と名のつく地名があるほど、生活の一部になっています。

 渋谷駅にモヤイ像が設置されたのは、34年前の1980年まで遡ります。モヤイの産地である新島が東京都に移管されて100年の記念に、渋谷区へと寄贈されたのです。ウェーブがかっている髪が渋谷でアルバイトを探す青年とダブってしまうのは、渋谷という土地だからかも知れません。
毎日あの場所で変わりゆく渋谷を見つめながら、故郷の新島に想いを馳せているのでしょう。

 バイト前の時間潰しに、仕事中一息つきたい時に、手持ちのスマートフォンでアルバイトの求人を探しながら…など、ちょっとした空き時間ができた時はフラりと足を運んでみるのもいいですね。

ハチ公像の由来について

 渋谷駅前の銅像と言えば、何と言っても「ハチ公像」です。夜になるとバイト終わりの若者達がこぞって待ち合わせ、夜の街へと繰り出していく姿を見かけるでしょう。

 ハチ公像には、実際にモデルとなった犬がいたことは、あまりにも有名な話です。ハチの飼い主は、当時渋谷駅周辺に住んでいました。上野英三郎と言う人物で、仕事は、東京帝国大学教授をしていました。大変な愛犬家だった上野氏は、ハチの他にも「ジョン」「エス」という2匹の犬を飼っていたそうで、ハチとも仲がよかったと言われています。すっかり上野氏に懐いたハチは、毎日渋谷駅まで迎えに行っていました。忠犬ハチ公の誕生です!

 しかし、ハチを飼い始めて1年が過ぎた頃、上野氏は突然急死してしまうのです。ハチは来る日も来る日も渋谷駅でご主人を待ち続けました。その期間なんと7年!送り迎えをしていた期間が1年足らずだったことを考えると、大変な忠犬だったことが分かります。ハチのことを知った記者が、「忠犬ハチ公」として新聞記事を書いたことから話題となり、銅像建設まで至りました。除幕式にはハチ本人も来たと言います。仕事の途中にフラりと除幕式を見に来た人は本物のハチとご対面できたと言うことですね…一度でいいから見てみたかったなぁ。

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