「ハイブリッドファッションクリエイター」を名乗るJr.MARQUESとは何者か?
- Jr.MARQUES(ジュニア マーカス)
- 一般社団法人日本読モ協会 理事長 株式会社Pomeace 代表取締役 株式会社おくりバント 社外取締役 株式会社De's Gallery コミュニケーション ディレクター 株式会社nunettes JAPAN コミュニケーション ディレクター 株式会社フェスタスJAPAN エグゼティブ プロデューサー 株式会社107design コンテンツマネージメント スペシャリスト
1979年生まれ、千葉県出身。ファッションスタイリストとして活動を開始するも、その枠にとどまらず各方面で多才ぶりを発揮。BRAND『LOVELESS』×BRAND『MCM』、『ふなっしー』×『nunettes』、『HOOTERS』×『kitson』、『闇金ウシジマくん』×『WILD PARTY』など、数々のコーディネイト・マッチングでコラボレーションプロダクトを実現。個人の活動としては『ROOTOTE』、『PLYBUTTON』、『World wide Famous』、『泥棒日記』、『ELEBROU』 など、数多くのブランドとシグネチャーコラボレーションプロダクトを展開する。2014年、日本読モ協会を設立。理事長に就任し、日本独自のガールズカルチャーの向上を目指した活動もスタート。2015年4月、広告プロモーション会社 株式会社おくりバントの社外取締役、6月には企業と企業のマッチングクリエイティブサービス株式会社Pomeaceを創設するなど、巷に新しい価値を生み出すため精力的に活動中。
インパクト大の「ハイブリットファッションクリエイター」
―JR.MARQUESさん(以下、マーカスさん)の現在の活動内容を教えていただけますか?
ベースとなっているのはスタイリストで、フリーで活動しています。TVや雑誌に出るタレントさんや女優さんのスタイリング、ファッションブランドの広告・雑誌のタイアップ企画ほか、ヘアメイクさんやカメラマンを入れたチーム編成のキャスティングまでを行うアートディレクションも手掛けています。そういった仕事から派生して、ブランドのPR、マーケティングの仕事なども行っています。
ちなみに名前だけ見ると「外国人?」と思われることもありますが、日本人です。自分でもどうしてこの名前にしたのか、もう覚えてません(笑)。
―(笑)この「ハイブリッドファッションクリエイター」という肩書きは、マーカスさん独自のものですよね?
そうですよ。「スタイリスト」という肩書きのままだと自分の可能性を縮めてしまうだろうし、そもそもこういうヨコ文字の名前とか肩書きとか、なんかすごそうでカッコよく見えるでしょう(笑)。名乗るのに免許もいらないし、名乗ったうえできちんと仕事ができればいいのだから、じゃあ自分がパイオニアになってしまおうと。そんな安易な、不純な動機です。
でもこの名前や肩書きのおかげで、クライアントさんとの名刺交換でちょっと話がふくらみますし、100%アクションがあるんです。この名前がなかったら、今の僕はなかったでしょうね。
―ご自身のスタイリングの特徴や、強みというものはありますか?
僕はあんまり自分のスタイルや好みを押しつけようとは思わないです。僕の職業はクライアントありきですし、クライアントが目指したいゴールに向けてベストをつくすのが仕事ですので、基本的にニュートラルな目線でやるようにしていますね。
1つの作品をつくるにはスタイリストだけでなく、チーム全体が関わることになります。作品の良し悪しは第三者が決めることなので、僕らは作品を完成させるまで、チーム全体が気持ちよく仕事を進められるようにするべきかなと。
―マーカスさんは、本当に多方面で活躍されていますよね。将来なりたい姿はありますか?
今後はスタイリストとしての仕事はもちろん、ディレクションや企業とのコラボレーション企画の仕事も充実させたいですね。今(2015年8月現在)も、コラボしている案件は同時進行で10件ほどありますし、海外での展開も考えています。
アパレルだけでなく異業種の方とも積極的に仕事をしたいですし、最終的にどんなジャンルからも「JR.MARQUESに頼めば企画が成立する」といわれるような、そんな“駆け込み寺”のような存在になれたらいいですね。
偶然か、必然か。あの日あの街からすべてが動き出して
―スタイリストになったきっかけや経緯を教えていただけますか?
もともとファッションは好きで、仕事にしたいなと考えていたんです。18、9くらいのある日、原宿を歩いていたら、宝島社の『CUTiE(キューティ)』という女性誌のスタッフから「路上スナップ企画に出てみないか」と声をかけられました。それがすごく評判が良かったみたいで、兄弟誌の『smart(スマート)』のほうでも、僕がモデルで出るようになったんです。
今でこそ「読者モデル(読モ)」というカテゴリがありますが、当時はまだそんなポップなものはなく、撮影では第一線で活躍しているモデルさんたちとご一緒していました。その時のスタイリストさんから、スタイリングに関するアドバイスをもらったりしていて。これが一番初めのきっかけですね。
転機となったのは「東京コレクション」というファッションショーで「alfredoBANNISTER(アルフレッド・バニスター)」というメンズの靴ブランドのモデルとして運よく出させてもらった時です。そこで、プロデュースを手がけた井嶋さん(※)に出会いました。
井嶋さんから「君はこれからどうしたいの?」と聞かれました。井嶋さんの仕事にほれぼれしていた僕は「いやぁ、スタイリストさんてカッコいいですよね」と答えると、「じゃあ、一緒に現場に来る?」って。それから、すごくかわいがってくれましてね。
井嶋さんのお弟子さんにあたる先輩方と一緒に「チーム井嶋」として、いろんな現場へアシスタントとして働かせてもらいました。そこで様々な仕事のやり方を覚えたんです。
こうしていきなり超一流の人たちとご一緒させていただいたことは、僕にとって大きな糧です。結構運が良かったんですね。
―本当にご縁ですね。でも、何かしらそういう縁を引き寄せるために、ご自身で意識していたことがあったのでは。
うーん……でもとにかくその日、原宿を出歩いていたことから、すべてが始まっていたと思うんですよ。なのでその時から「家にこもっていもしょうがないんだ」って思うようになって、今でも何かお誘いがあれば、面倒がらず、積極的に行動するようにしています。仕事につながる機会も多いんですよ。
―マーカスさんのそういった姿勢が、人脈、ひいてはお仕事の幅を広げる源泉になっているのでしょうね。今のお仕事の良さはどんなところですか?
“自由さ” がとてもいいなって思っています。ルーティンワークでもなくフリーランスなので、完全に自分でスケジュールを調整できますし、いろんな人とも出会えますから刺激も受けます。仕事をしたくなかったら入れないっていうこともできますしね。全く入れなくしたらただのニートになっちゃいますけど(笑)。
でも週一で完全オフの日が必ずあるので、そういう時は現状の仕事の進捗の確認とか、過去に終えた仕事を振りかえってみたりしています。
厳しい学校と大好きな友達。真面目でフリーダムな学生ライフ
―スタイリストの世界に入る前の、マーカスさんの学生時代はどのようなものでしたか?
一応、中高は私立で厳しい学校だったんですが、今考えているとホント勉強していなかったですね(笑)。でも唯一の自慢が「毎日きちんと学校に通っていた」こと。中学校の時は3年間遅刻をせず、1日休んだだけでした。
―おお!精勤賞ですね。
高校生の時は皆勤賞でした。……3年生の、最後の20日間まで(笑)。卒業が決定したので最後バコバコ休み始めたら先生に呼び出されて「最後までちゃんと出ろ!」って怒られました(笑)。
―皆勤賞……ではなかったんですね(笑)。まあ一応やるべきことはやったと。
“約6年間、決まった時間に毎日目的地に来る”という常識的なことを、自分はやればきちんとできるんだな!って自覚できたんですよ。じゃあ社会に出たらそれと外れたことをやってみたいなと。
最初から自由すぎるのはよくないと思うんです。厳しい学校でしたけど、だからこそ、その目をかいくぐっていかに楽しめるかとか……そういうクリエイティブ感覚が養えた(笑)。無法地帯で自由にやっちゃうと人間おかしな方向に行ってしまうと思うので、その点はよかったなって思っています。
学校に通えたのは友達が大好きだったおかげでもありますね。その時、音楽やファッションに詳しい友達がいまして、彼にいろいろ教えてもらって僕も興味を持ったんです。僕のスタイリスト人生はそこから始まっているともいえます。
彼も自分がやりたかったことをきちんと大成していまして、人気アーティストのアルバムジャケットのデザインを担当したりしているんですよ。
―すごいですね!ちなみに、学生の間にアルバイトはされていましたか?
夏休みなどの長期休暇の時に一気にやりました。大体は引っ越しなどの力仕事で、なかでも思い出深いのは、同級生の実家に泊まり込んでの、梨園の手伝いですね。夏休みがちょうど書き入れ時だったんです。
朝6時に起きて、9時まで梨をもいで、10分休憩して、またもいで。12時になったらもいだ梨をベルトコンベアーに乗っけて、傷をつけないようにサイズごとに選別するんです。僕、その梨園の息子より仕事が早くてですね(笑)バイトリーダーとして、誰よりも早起きして梨をもぎに行ってましたよ。
夏場の作業はセミが多くて。僕、セミ苦手ですごく鬱陶しかったんですが、ふと見ると、その梨園の息子の親父さんの作業着に、セミが3匹くらいとまっているのを見ちゃったんです。こう、ブローチみたいになってる(笑)。なにの微動だにせず、黙々と作業している親父さんを見て「ベテランってすげーな!」って思いました。
―(爆笑)そういった、“決められた時間に仕事をして楽しむ”というスタンスも、真面目で厳しい学校に入っていたことによる影響が大きいと思いますか?
まあもともと、与えられた環境で自分が楽しみたいことを見つけるのが得意なんでしょうね。梨園もね、当然真面目な仕事なんですけれど、僕にとってはいつもと違う、非現実的な光景に自分が置かれているっていう状況がおもしろかった。友達の存在も大きかったし。
そういう、“楽しみを見つける”“仲間と一緒に楽しいことをする”っていう感覚を、学生時代に養えたかもしれません。今の仕事のように“チームで協力し合う力”につながってきているのかな。
他人の評価に囚われない、ソーシャルメディアの活かし方
―今まで特に「これは楽しかったな」というお仕事というと何ですか?
ある芸能人の方と対談させてもらいました。13時に学芸大学近くのスナックに来て、べろべろになるまで呑みながら語り合うだけ。しかもお金までもらえる(笑)。ファッションのお仕事と全く関係ないんですが、すっごく楽しかったですね。
あの企画を考えたのは大手の広告代理店であるアドウェイズの子会社で、現在僕が社外取締役を務めている株式会社おくりバントという会社です。そこはバズを興すのが得意な会社で、そのスナック企画をおもしろおかしく仕上げて拡散してくれたおかげで、ものすごい反響がありました。素直に嬉しかったです。
―ファッションの仕事と全く関係ないのに突然、出演オファーが来たということですか?
僕、結構ソーシャルメディアを使うんです。今までやった仕事のプロセスなんかをどんどん書いて公開しています。その僕の記事を見て、おくりバントのスタッフが「おもしろそうな人だな」って思ってくれたみたいなんです。
僕のようなフリーランスとかクリエイターの仕事って、とてもソーシャルビジネスと相性がいい。ただ待っていても仕事は来ないので、やれる人はどんどん、「自分はこういうことをしている、できる」と、ソーシャルを使って発信していくべきだと思いますね。
―おっしゃる通りですね。これから、特にフリーランスとして仕事をしていこうと思っている若い人のうち、こういうことを積極的にできる人が今後は目立ってくるのではないかと思いますが、いかがですか?
昔より職業を選ぶ選択肢が増えてきているとは思います。アピールする場も多いですし。ただ、今の人は、ちょっとソーシャルにプレッシャーをかけられすぎているという感じはするな。人からの評価をとても気にしていますよね。
僕なんかは、一般の人から見たら訳のわからないことをわざとやったりするんですけれど(笑)それは僕自身が単に“おもしろい”と思っているからやっているのであって、人に評価されたいとか全然思ってないんですよ。自然と可能性が広がっていったんです。
10、20代の子って外面と、「いいね!」のロジックのなかだけの人気を欲しがっているという気がしています。せっかくこれだけ間口が広がっているのだから、そんなソーシャルの内にだけウケるようなつまんないことしていないで、自分がやりたいことをどんどん発信していってほしいですね。評価はあとからついてくると思います。
“選択肢”はひとつだけじゃない。ゆるく考えることも必要
―マーカスさんのように、おもしろいこと、好きなことを仕事にしたいと思っている人へ、アドバイスがあればうかがいたいです。
好きな仕事をしていても、どうしても嫌なこともついてきます。好きなことが嫌いになる可能性も覚悟すること。あるいは好きなものは好きで、現状の距離感を保っておけるように、線引きをしておきましょう。
やって無理だと思ったら、好きだったころの距離感に戻す心持ちで。嫌いになったままズルズルと続けてしまうと、自分のことも嫌いになってしまいますから。
でも忘れないでほしいのは、やれる選択肢はひとつじゃないということ。ファッション関連の仕事がしたいなら、たとえスタイリストでなくっても、ファッションに関われる仕事はたくさんあります。そこの柔軟性は、是非持っていてほしいですね。
スタイリストはね、ほんとにライバルが多いんですよ。だから「ハイブリットファッションクリエイター」と僕が言っているのは、手数を増やすためという理由もあります(笑)。
―(笑)たとえばフリーランスでやっていくために、仕事のきっかけづくりや人脈を広げていくには、まずどうすればいいでしょうか?
今でしたら、フェイスブックとかを通して、企業家の人などコミュニケーションを取りたい人と直接つながれますよね。だから自分からどんどん、会いたい人にメッセージを送ればいいんじゃないでしょうか。それで無視されたって、がっかりする必要もない。死にはしないんですもん(笑)。
―確かにそうですよね(笑)。それでは、最後に将来について悩む若い学生の方に、メッセージをお願いします。
僕自身が結構ゆるーく生きているので「今日できるものでも、明日できそうだったら明日すればいいじゃん」っていうくらい、みなさんも気持ちをゆるめてやっていけばいいと思っています。
さっきの話になりますが、今の子ってソーシャルにすごくプレッシャーをかけられていますよね。「いいねがつかなくてヤバい」とか「既読無視された」とか。それですぐイライラして、いじめが起こったりするんですけど、だからこそ別に、返信は明日……いや明後日でいいや!くらいに心に余裕を持った方がいいと思うんですよ。
―それくらい心の余裕を持つために重要なことって何でしょう?
やはりコミュニケーション能力ではないでしょうか。たとえば何か原稿の締切を過ぎちゃっても「しょうがないなぁ、マーカスさんなら」って許されるくらい、相手とコミュニケーションをいっぱい取っておくと。人生にはそうそう、ヤバい“締切”はないんで。
もちろん、そういうことが許されないシリアスなパターンもありますから、それにはそれできちんとシフトチェンジできるくらいの、心の余裕を持つといいと思いますね。
別に、何かせっぱつまった状況が起こっても、それでこちらが死ぬようなことなんてそうそう起きないんで(笑)。「今日ダメでも明日がある」。……そんなところでしょうか。
[取材・執筆・構成・編集・撮影]真田明日美 [取材場所]株式会社セレス