バイト・仕事を楽しむキャリアマガジン

バイト・アルバイトはおすすめディスカバイト > 東京都 > 渋谷区 > 代々木駅のバイト > 福野泰介

jig.jpが目指す“The next web”の実現
―ローカルガバメントから広めるオープンデータ社会の構築―

株式会社jig.jp 福野泰介
福野 泰介
株式会社jig.jp 代表取締役

1978年石川県出身、1999年福井工業高等専門学校電子情報工学科を卒業後、フリープログラマーとして活躍。2000年5月福井県鯖江市に有限会社シャフトを設立しCTOに就任。2001年同市内にUNI研究所を設立、代表取締役に就任。2003年5月株式会社jig.jpを設立し代表取締役に就任、現在に至る。

jig.jpとは?

jigブラウザを始めとした様々な事業

―jig.jpが行っている事業を教えてください―

現在の事業は、主にモバイルソフトウェアの企画・開発・提供を行っています。運用している主なサービスは、「jigブラウザ(ジグブラウザ)」というPCサイトの閲覧が可能な携帯電話用のフルブラウザアプリです。また、Twitterを快適に楽しむことができる「jigtwi(ジグツイ)」や「モバツイ」、スマートフォン専用のwebブラウザ「jigbrowser+(ジグブラウザプラス)」、最新のニュースをまとめて読むことができるニュースアプリ「kawara(カワラ)」、ポイントが貯まる無料のブラウザアプリ「検索+(ケンサクプラス)」です。2014年3月からは新たなサービスとして、オタクグッズを広く売買できるフリマアプリ「otamart(オタマート)」をリリースしました。そして6月からは、自治体向けのサービスとして、オープンデータのプラットフォームをリリースしました。このサービスのポイントは、Excelだけで5つ星オープンデータ(Linked-RDF)を簡単に公開することができることです。専門的な知識は必要ありませんし、自治体でサーバーを持つ必要もありません。オープンデータを集約した開発者サイトも運営していますので、アプリ開発におけるサポート体制も万全です!

21歳で会社を設立―プログラミングのスキルを活かした若き起業家の誕生

パソコンに向かう福井社長

―jig.jp設立前にも別会社を立ち上げられたとお聞きしましたが、最初に立ちあげた有限会社シャフトは1人で起ち上げたのですか?―

元々周囲から「会社を作ったら?お前はインターネットができるのだから」と言われることは多く、最初の会社は、周囲の声に背中を押された形での起業でした。立ち上げメンバーは3人です。福井高専に通っていた時に仲が良かった2歳上の先輩が福井大学へ編入したのですが、そこで出会った佐世保高専出身の先輩と意気投合したようで、3人で会社を立ち上げることにしたのです。2000年5月に地元福井県鯖江市で有限会社シャフトを立ち上げ、僕は技術担当CTOとして就任しました。当初からPC用のWebの受託制作を行っている企業が支援に動いてくれたのですが、「これからはモバイルがおもしろい」と薦められたので、ビジネスモデルは最初からモバイルで考えていました。2000年はちょうどiモードが立ち上がった年だったので、ちょうど良いタイミングだったと思いますね。

当時はiモードとJ-PHONEとEZwebの仕様が全てバラバラだったので、「こんなバラバラの仕様みんな使わないだろう!」と思ったことがきっかけで、全てのキャリア共通のプラットフォームを作りました。リリースをしたもののうまく宣伝をすることができなかったので、サービス自体は鳴かず飛ばずといった感じでした。しかし、モバイルに着眼点を当てサービスをリリースできたことで今に繋がる部分は多いですね。

―順調な滑り出しに見えるのですが10ヶ月で新たな会社を立ち上げたのはなぜですか?―

サービスは開始したものの当時はインターネットユーザーも少ないこともあって苦戦、ビジネスの中心がさまざまな受託開発となってしまいました。ちょうどその頃にドコモのiアプリが発表されたのです。まずは仕様が公開となり、「公式の開発環境、近日公開!」となっていたんですけど、待ちきれなかったので、自分で勝手に作ってしまったんです。そして「個人で勝手に作りました」というリリースを日経BPへ送ったところ、すぐに取り上げていただき、予想以上のアクセスがありました。「こういう面白いことをシャフトでやりたいな」と伝えたのですが、メンバーの反応は一貫して「でも、ユーザーいないでしょ?」というもので、共感を得られませんでした。僕はCTOでしたので、「言うべきことは言ったし、やらないなら、自分でやる」と、次の会社、UNI研究所を立ち上げました。

―UNI研究所ではどのような仕事をしていたのですか?―

目指していたビジネスは、僕が作った技術を提供し企業からライセンスをもらう、という形ですね。ものづくり好きなPCオタクなので、自分で作ったものが企業やユーザーに使われるだけでうれしいです。しかし、販売や契約といった部分の知識が浅かったので、そういった部分は不安を感じていました。そこで、販売の部分は福井県のソフトウェア会社「ユニコシステム株式会社」に協力を依頼しました。UNI研究所も福井県で創立していますし、体制的には理想のスタイルだと思いました。そうして、最初に制作をしたのが、パケット圧縮で通信料が半額になるというブラウザです。当初の予定通り、ユニコシステム株式会社が販売を行い技術面はUNI研究所が提供すると言う形でリリースをしました。

しかし、ここで予期せぬ事態が発生したのです。iアプリの作り方自体が当時はマニアックすぎて、僕以外誰もそのiアプリをメンテナンスすることができませんでした。そのため、最初は僕が制作を請け負っていたのですが、なかなか僕の手から離れなかったので受託業務に近い形になっていたのです。さらに、手掛けたものの中から爆発的なヒットが生まれたわけではなかったので、キャッシュフローもあまりよいとは言えず、負担の割に得るものが少ないように思っていました。

そんな時、現在弊社で取締役を務める赤浦から直接電話がかかってきたんですよ。「日本ベンチャーキャピタルをしている者ですけど…明日鯖江で会ってくれないか?」って。ベンチャーキャピタルというものもよく分からず「僕明日東京行くので、そちらで会いましょう」と返答したことを覚えています(笑)当時ドコモ四国で行われていたiアプリのコンテストで審査員を務めたり「ビジネスiアプリ入門」という記事を連載していたのですが、赤浦はそこから僕のことを知ったようです。彼自身iアプリの制作にはとても意欲的で、実際に会って話をしてみるとお互いのやりたいこと、作りたいものが見事に一致していました。ユーザー向けのサービス開発、iアプリを使ったコンテンツの制作、そして自社で販売や契約を行うこと…こうした企業でなければ今後生き残ることはできない、などなど。これが、jig.jpを新たに立ち上げるきっかけになりました。

一晩で3万円のアルバイト―プログラミングの楽しさに目覚めた高専時代

―20代前半で起業をされた福野社長ですが、やはり学生時代から事業に興味があったのですか?―

いいえ、高専に通っていた頃は具体的に起業を考えていたわけではありません。普通にアルバイトをしていたこともあります。1年生の頃は遺跡発掘のアルバイトをしていましたね。福井駅前の再開発で遺跡が出土されることがあったのです。そうすると、その辺り一帯はまず遺跡を掘り進めなければならないので多くの人がアルバイトとして働いていました。熱い日には特に体力もいる仕事ではありましたが、なかなかできない貴重で楽しい体験でした。

2年生になってからはプログラムのアルバイトを始めました。福井県では丁度その頃インターネットが立ち上がる時で、いくつかの会社が福井県でインターネット業界を形成していたのです。元々プログラミングが好きだったこともあり、高専の先輩を通じてその内の一社を紹介していただきました。「じゃあ、こんな感じの作れる?」と、依頼されたものを一晩で作って納品したところ、その謝礼が3万円。「何ておいしい仕事なんだ!」と、当時10代だった僕は思いましたね(笑)そして、そのままこの会社でアルバイトをするようになり、3年生からは契約社員に切り替えて月額で給料をいただきながら働いていました。

―高専の卒業生として、高専の魅力を教えてください―

一般的な高校と比べると、束縛されることが少ないので自由度はかなり高いと思います。授業は高校と同じようにきっちりカリキュラムが組まれていましたが、1コマが90分なので1日の授業数が3~4限なんです。時間にすると、3時~4時頃にはもう学校は終わり、後の時間は好きなことに使えます。高校より2年長いですし、受験戦争がほとんどないのも魅力ですね。好きな分野の勉強ができる学生なら高専は天国みたいな学校ですよ。逆に、専門分野の勉強があまり好きでないという人にとっては辛い学校だと思いますね。

jig.jp10年間の歩み―ガラケーからスマートフォンへの転換

受付で笑顔を見せる福井社長

―2004年にリリース後大ヒットとなったjigブラウザ(ジグブラウザ)はどのように生まれたのですか?―

実は、制作をしたのは帰りの新幹線の中なんです(笑)弊社は東京に本社がありますが、福井県鯖江市に開発センターがありまして、僕も制作は鯖江市で行っています。そのため、東京と福井を往復することも多く、その移動中にもよく開発をしていました。ちょうどその頃、京セラ製のPHS端末からオペラ・ソフトウェアの「Opera」を組み込んだものが発売になった時期でした。「Opera」とは、携帯電話からPCのインターネットが見られるフルブラウザであり、当時PCのインターネットページを見ることができなかったモバイル端末の中ではとても画期的な端末だったのです。「携帯電話ではどこが最初に実装するのか?」と、業界内ではよく話がされていたようです。そこで、弊社の取締役である赤浦から「これ作れない?」と、軽く聞かれたのです。当初は面倒な作業が多いように考えていましたが、いざ作りはじめると、予想以上に早いペースで開発できたのです。というより、「結構簡単かも知れない!」と思うほど順調に進み、1週間後には完成したプロトタイプを持って再び東京へ来ていました。「もうできたのか!?」と、言い出した本人もかなり驚いていましたけどね。

3ヶ月後にリリースをしたところ、Yahoo!JAPANのニューストピックスに取り上げていただき、そこからアクセスが殺到しました。年額6,000円、月額1,000円の上クレジットカード課金という強気の有料販売でしたが、何千件というウェイティングリストができるほど、大きな反響がありました。jigブラウザ(ジグブラウザ)のヒットが生まれたおかげで、本当にやりたかった一般ユーザー向けのサービスの制作や運用に専念する体制ができました。今の原型を作ったサービスといっても過言ではありません。

―2000年代後半からはスマートフォンが増えたと思いますが、この流れはどのように考えていましたか?―

基本的に、スマートフォンが市場に出てきたことは大いに歓迎すべきことだと思いました。しかし、スマートフォンが出てきた当初は当たり前ですが既存のブラウザ事業の割合が大きかったですし、ユーザーも少ない状態だったのでどうやってスマートフォン独自のサービスを作ればいいのか悩んでいましたね。既存のブラウザ作りといっても、スマートフォンには最初からブラウザが搭載されているのでまず差別化が難しく、そもそもどのくらいスマートフォンのユーザーが増えたタイミングで舵を切ればいいのか分からなかった…というのが本音です。「iPhoneやAndroid向けも何か開発しないと…」そんな話は常に出ていたのですが、「これだ!」というアイディアがなかなか生まれず、2010年頃はかなり悩んでいました。悩みながらもまずは走ろうと、いくつかのアイディアの中から、SNSや位置情報を使ったサービス、コミュニケーションツール、ブラウザなどのスマートフォン向けアプリのリリースを始めました。現在提供しているサービスのノウハウを蓄えるとても大事な時期だったと思います。

Data City鯖江の誕生―ローカルガバメントとオープンデータ

Date Cityについて語るjig.jp福井社長

―福野社長は現在オープンデータの推進を続けていると聞きましたが、そもそもオープンデータとはどういったデータなのですか?―

一言で説明をすると、「利用が広く許可されている公共データ」を指します。オープンデータと呼ばれるには2つの条件をクリアする必要があり、1つは、機械判読に適したデータ形式であること、2つ目は、二次利用が可能なルールで公開されたデータであること、この2つです。これらの条件を満たしたデータを一般的には「オープンデータ」と呼んでいるのです。

今までWebを形作ってきたのはHTMLですが、これは一種の文書です。文書というのは人間に向けて書かれるものであり、それ自体を機械に理解してもらおうなんて無理な話なんです。例えば、「代々木 ラーメン」と言う検索ワードを打っても自分が思った答えが出てこないことがありますよね?それは、Webがこの言葉の意味を汲み取ってくれないただの機械だからです。「代々木」と打たれても、機械にしてみたら「代々木駅」ももあれば「代々木公園」もあるわけで、一体どの「代々木」を指しているのか分かりません。オープンデータでは、こうしたデータをしっかりと定義し、データベースに基づきそれぞれを分断して情報公開をしています。「整理されたウェブ」という意味で、別名「セマンティックウェブ」とも呼ばれています。

―オープンデータを鯖江市で活用していこうと思われたのはどうしてですか?―

スマートフォン向けのサービスについて悩んでいた2010年に、W3C(ダブリュースリーシー)というウェブの仕様を決めている団体に加入をしました。「スマートフォン向けのブラウザをただ作っても仕方がない、目指すなら世界中に広まるブラウザだろう!」という考えは持っていたので、世界標準の最新データは知っておく必要があると思ったからです。そこで出会ったのが、ウェブの開発者でもあるティム・バーナーズ=リー氏です。2010年当時のHOTトピックと言えば、HTML5でしたが、彼はそれには全く興味を示していませんでした。彼が働きかけていたものこそ「オープンデータの有効利用」についてでした。ティム氏はイギリス政府とタッグを組み、オープンデータを具体的に活用することを国ぐるみの政策で働きかけていたのです。

この壮大な試みを知った私は「このままでは日本が置いていかれてしまう、それはマズい!」と思いました、しかし、いきなりオープンデータの活用を国に働きかけるのは現実的ではありませんし、動き出すまでに時間もかかります。そこで、同年12月に地元の鯖江市へオープンデータの活用について相談をしに行きました。これに鯖江市が興味を示したこともあり、2011年度には情報統計課が新たに設置され、2012年1月に初めてオープンデータを出しました。これを踏まえて弊社では、2012年に鯖江市の開発センター(本店)でアプリを大量に制作したのです。そこから「データとアプリが豊富な街」として、次第に注目をされるようになりましたね。ローカルガバメントから動き始めるメリットとして、より一般市民の生活に密着したデータを活用できることがあげられます。さらに、鯖江市をオープンデータの最先端の街として確立させることができれば、鯖江市で作られるアプリは世界で最も使われるアプリとなりますし、それが日本の強みにも繋がるので、地方から広めるのは大いにアリだと考えました。

―日本の地方自治体ではどこまでオープンデータの活用が進んでいるのでしょうか?―

2013年の6月14日に日本政府が、「世界最先端IT国家創造宣言」を策定したのですが、世界最先端のIT国家を作る上で最も必要になる技術として、オープンデータがあげられたのです。2013年に施行版を立ち上げ、2014年、2015年を本格展開の年に定めることが明記されており、ここから一気に注目を集めるようになりました。オープンデータの標準化を目指す上で2013年には福井県と神奈川県で立証実験が行われ、弊社ではこれを元にオープンデータのプラットフォームの構築を担当しました。簡単にオープンデータを活用することが可能になりますので、今後ますます広がりを見せるのではないでしょうか。現状としては全国37都市がオープンデータを活用しています。最も進んでいるのは、やはり福井県です。鯖江市を始め7都市がオープンデータを活用しており、福井県も導入しています。次いで多いのは、2都市の神奈川県です。日本全国には1,700を超える都市がありますのでまだ微々たる数ではありますが、これからの広がりに期待をしています。

“The next web” 福野社長が目指す今後のウェブとは

―今後の展開についてどのようにお考えですか?―

HTMLからRDFへの変換、これがセマンティックウェブのベースとなる考え方です。オープンデータと合わせて、こうしたウェブ上の情報を整理していきたいと思います。そして、スマホの次にくるデバイスが僕は「メガネ」だと思っているんです。僕も普段からかけているこの「Google Glass」は一見奇抜なデザインにも見えますが、予想に反して一般社会にも溶け込むことができるデザインだったのです。これは大きな発見でした。機能や操作性自体は評価が高いのですが、実際にGoogle Glassをかけて出かけることができなければ、デバイスとしての未来はありません。しかし、社会的に受け入れる土壌があるのならば確実に広がると思います。弊社の企業理念が利用者に最も近いソフトウェアの提供なので、まずは利用者に比較的よく受け入れられているGoogle Glassに合わせた仕様のアプリを開発していきたいです。

その第一弾として、すでに弊社が運営しているニュースアプリ「kawara(カワラ)」を改良し、Google Glass用ニュースアプリとして「kawara(カワラ)」を新たに開発しました。Google Glassの装着型デバイスというメリットを活かし、音声認識でスムーズな操作ができるように開発をしました。さらに、ニュースの音声読み上げ機能や流し読みの機能を搭載し、Google Glassの特性を最大限に引き出すアプリとなっています。Google Glass向けのアプリストアはまだありませんが、公開したら本格的にリリースをする予定です。鯖江市はメガネの街でもあるので、Google Glassのフレームに合わせてレンズを取り付ければ言うことないですね(笑)1点問題点をあげるなら、Google Glass自体の値段が高いことでしょうか。現在は150,000円するのですが、せめて80,000円弱まで下がれば手が届きやすいと思います。

プログラマー育成計画―IchigoJam(イチゴジャム)

IchigoJam(イチゴジャム)を作る目的とは

―子供の頃からプログラミングに親しんでもらう試みを行っていると伺いましたがどのような取り組みですか?―

鯖江市でオープンデータが始まると、僕が作ったアプリの多くがオープンソースとして誰でも見ることができるようになりました。しかし、ほとんどの人はそれを使ってアプリを作ろうとしなかったのです。「アプリを作る人ってそんなに少なかったのか…」と、衝撃を受けました。高専の生徒と会う機会も増えましたが、プログラムに興味を持っている生徒であっても、その大半が高専入学後に初めてプログラムに触れたという生徒だったのです。「もっと自由にアプリを作ってもらう為にはどうしたらいいんだ?」と考えた結果、まだ柔軟に知識を吸収することができるという点を考慮し、子供達を巻き込むのが近道だと思いました。

そこで真っ先に頭に浮かんだのが、イギリスのRaspberry Pi Foundation(ラズベリーパイ財団)が制作をしている子供向けのシンプルなコンピューター「Raspberry Pi(ラズベリーパイ)」でした。Raspberry Pi Foundation(ラズベリーパイ財団)では、「全ての子供にパソコンを」という理念の元に、25$~35$程度でコンピューターを販売していました。ただの基板のようにも見えますが、30年前のコンピューターと同等のスペックです。手頃な値段はもちろん、テレビ、キーボード、電源、この3つがあればコンピューターとして完成するというシンプルな作りが評価され、250万台以上販売されています。しかし、Raspberry Pi(ラズベリーパイ)はLinux(リナックス)のため、少し難しいという弱点がありました。そこで、その問題を解消すべく僕が作ったのが「IchigoJam(イチゴジャム)」です。まだ一個一個手作りなので大量生産はできませんが、名前の通り1,500円で販売しています。簡単なゲームをプログラミングすることはできますし、Raspberry Pi(ラズベリーパイ)と違って、予備知識なくすぐに始められます。

プログラミングに小学校低学年の内から触れることで、バリバリとプログラムを書けるようになり高専に進学する子どもが1%でも生まれてくれれば万々歳です。向き不向きはきっとありますが、触りもせずに大人になってしまうのはとてももったいないと思うので、もっと身近な存在になるよう広めたいと思います。そして、高専生になった暁には、ぜひ弊社でアルバイトとして腕を磨きにきてもらいたい!(笑)

[取材/執筆/編集] 高橋秀明、白井美紗

あわせて読みたい

Career Grooveとは?

「Career Groove(キャリアグルーヴ)」は、様々な業界で活躍している起業家や著名人が語る、バイト・仕事のやりがいや働く楽しさを一人でも多くの人へ伝えるというミッションを持ったウェブマガジンです。

新着記事

Access Ranking

人気のタグ

タグ一覧へ

Social Account